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キッカケは

文章に自信があるわけでもない私がなぜノートを始めたか。

優しさと希望溢れる記事で皆さんを元気づけたい…
そんな高尚な理由ではなかった。

私は、陰気と憎悪と怒り、そして諦めでできている。
それでもニコニコはできる。人の顔色を見て、言って欲しそうなことを言う。それが一番楽で(そして一番の苦痛である。)私の考えを言おうものなら、相手を硬直させる。さっきまで笑っていた時間はどこにいったのだ?

中学生の頃には気づいていたーーー何も言いたくない。

そんな中で、文章と絵は自由だった。

中学生の頃、自分の考えや日記のようなものをノートに書いた。
担任の先生は笑わずに返事を書いてくれた。大きな安心感があった。

その安心感を求めて、文章に縋り付いていた。
(側から見れば、ニコニコして何も言わない裏では謎のメモをいつも書いている不気味なやつと思われてるだろう…)

ニコニコしていると、もう一人の自分が腕組みをして右から見て、笑っている。
(もう一人の自分をエムとする)
エムは空想上の友人である。長い付き合いだ。
「そんなこと心にも思ってないくせによく言うよ」
「今、◯◯って思っただろ!言っちゃえよ」
「今ブチギレたら、面白いよ」
等、主に汚い言葉を使う、なんとも楽しいやつである。

そうだ、話題はなんのために文章を書きたくなったか、だった。
理由は自分への慰めだ。

本心を隠して日常を過ごしている寂しさをここに綴ろうと思ったのだった。
私の笑われる要素をここにぶちまけたい。と思う。


そう、エヴァンゲリオンを見てからだ。
初めてエヴァを見て、心情の生々しさに衝撃を受けた。

その夜の夢は、過去のトラウマを掘り起こしたものだった。
エムの悪ふざけか、過去の自分が開放されたのか。
「こんなに辛いのに、お前は見て見ぬふりをしたな」
と言わんばりに誇張され、歪められた悪夢だった。同時に
「今のお前だったら、受け入れてくれそうだ」
という期待も感じた。

だから、今まで目を背けてきたもの全部を見よう、と思った。
変な文章でも、クサイ詩でも。
笑われてもいいや、と。

この思いつきが、私の良い諦めのきっかけになればいいと思っている。



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