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【晩夏のゾーッとするクラシック・1】ロシア管弦楽曲集 Vol.1/ヴラディーミル・フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団【悪魔、妖怪、蛮族の乱舞】

晩夏のゾーッとするクラシック 開帳!

まだまだ夏の暑い日が続きそうです。
長らく続いた「今夏の鳥取の火葬場跡・斎場&鳥取の悲史訪問シリーズ」が終わり、「さて、次は何を書こうか」と考えながら何となくテレビを見ていたところ
8月22日にNHK教育で放送した「CLASSIC TV」が「夏のゾクッとするクラシック」。幽霊や悪魔を描いたクラシック音楽や音楽の不気味な効果を生かした名曲を紹介していました。おもしろくて見入っているうち、「あ!次はこれだ!」と閃きました。
一般に高尚と思われているクラシック音楽ですが、幽霊や悪魔、妖怪の登場する曲、まためくるめく狂気の世界を描いた曲もたくさんあります。夏の終わりにふさわしく、そうしたゾーッとするクラシック音楽をシリーズで紹介していきます。
というわけで第1回はこちら。悪魔、妖怪が乱舞するモデスト・ムソルグスキーの交響詩「禿げ山の一夜」と辺境の蛮族たちを描いたアレクサンドル・ボロディンの「だったん人の行進」。

フェドセーエフ&モスクワ放送響 ロシア管弦楽曲集 Vol.1 ジャケット表

悪魔、妖怪、蛮族の乱舞-曲目と演奏者

  1. モデスト・ムソルグスキー:交響詩「禿げ山の一夜」(ニコライ・リムスキー=コルサコフ編曲)

  2. アレクサンドル・ボロディン:歌劇「イーゴリ公」から「だったん人の行進」

  3. アレクサンドル・ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」

  4. イッポリトフ・イワーノフ:組曲「コーカサスの風景」(峡谷にて-村にて-回教寺院にて-酋長の行進)

 指揮:ヴラディーミル・フェドセーエフ
 モスクワ放送交響楽団

交響詩「禿げ山の一夜」-聖ヨハネ祭前夜の禿げ山

キリスト教では、聖ヨハネと聖ペテロの祭日である6月29日の前夜、山に集まった悪魔や魔女、妖怪たちが大宴会を催すとされています。その狂乱の大宴会を描いたのがこの曲です。

弦楽器の3連符によるざわめき、木管楽器の甲高い音色による飛び交う鬼火の描写に続いて、低音の金管楽器で魔王が登場。それが繰り返された後は、さまざまな楽器でさまざまな悪魔、妖怪、魔女、魔界に生息する奇怪な小動物や怪鳥たちが次々に現れて大宴会となる。その絶頂で麓の教会の鐘がかすかに鳴り響き、夜明けを告げる。とたんに大宴会は静まり、悪魔や妖怪たちはすごすごと地の底の世界に消えていく。クラリネットとフルートによる朝日の美しい音色で邪気が払われ、何ごともなかったように澄み切った朝が訪れる。

旧ソ連→ロシアのオーケストラは音量が大きく、荒々しい表現が得意とされています。たしかにそうした面があるのですが、大きな音量だけ・粗野な迫力だけという感がなきにしもあらずです。
ですが、フェドセーエフが統率するとひと味もふた味も違ってきます。大音量と繊細な弱音、粗野な迫力と余韻嫋々とした響き。この相反する要素が両立しています。
当然この「禿げ山の一夜」では魔族たちの大宴会がすごい迫力なのですが、その後の夜明けの描写がそれ以上にみごとです。少しずつ明るくなってくる空、澄み切ってくる空気、まだ弱いけどあたりをそっと照らし始める日の光。そんなひんやりとした、でも澄み切った夜明けの景色がみごとに活写されます。

交響詩「禿げ山の一夜」のよく聞かれる演奏は、ニコライ・リムスキー=コルサコフの編曲によるものです。ムソルグスキーの手になる原曲は、題名も「聖ヨハネ祭前夜の禿げ山」。原曲には、この曲の聞き所の一つである朝の描写がなく、悪魔や妖怪たちがすごすごと地の底の世界へ退散する場面で終わります。

歌劇「イーゴリ公」から「だったん人の行進」-蛮族たちの粗野な行進

古代ロシアの英雄・ノブゴロドのイーゴリ公は、辺境のボロヴェツ族(だったん人)と戦うために出陣するが、あえなく捕虜になってしまう。この曲は、勝ったボロヴェツ族兵士がイーゴリ公を含むロシア人捕虜や財宝と一緒に凱旋し、ボロヴェツ族の王コンチャク・ハァンに謁見する場面の音楽。
劇中でこの曲に続いて演奏されるのが、有名な「だったん人の娘たちの踊り-だったん人の踊り」。

前曲の「禿げ山の一夜」でフェドセーエフ&モスクワ放送響の迫力と繊細さを満喫した後は、「だったん人の行進」で粗野な迫力&凶悪さ全開のパワーに打ちのめされましょう。
「粗野な迫力&凶悪な響き」と言っても、フェドセーエフ率いるモスクワ放送響のアンサンブルは鉄壁。日本語としておかしな表現ですが、粗野で凶悪で鉄壁です。

一転して次の「中央アジアの草原にて」は野を渡るかすかなそよ風のような響きが味わえます。
この曲は作曲者ボロディン自身によって「広々とした中央アジアの草原を西から来たロシアの隊商と東から来たアジアの隊商がすれ違う。彼らの歌が融合し、草原の彼方に消えていく」というプログラムが残されています。
ですが、この曲はこのプログラムに加え、隠しテーマとして「中央アジアの草原での火葬」も意味しているのではないかという説も何かの本で読んだことがあります。そう思ってこの曲を聴くと「中央アジアの草原でロシアの隊商とアジアの隊商が出会う。近くでは、静かに住民が火葬されている。静かに燃えている火。参列者たちの祈り。隊商たちもそれぞれの故郷の挽歌を死者に捧げつつ去って行く。そして死者の肉体は焼け落ち、死者の魂はたなびく煙とともに、遙かな天界へと昇っていく」
そんな情景も脳裏に浮かびます。

ロシアはウクライナ侵攻以来、世界の非難を浴びています。それも当然だろうとは思いますが、一方でロシアは民俗芸能の宝庫であり、その豊かな芸術まで否定するのはもったいないと思います。

フェドセーエフ&モスクワ放送響 ロシア管弦楽曲集 Vol.1 ボトムカード

<次回予告>
・【晩夏のゾーッとするクラシック・2】ベルリオーズ:幻想交響曲/ベルナルト・ハイティンク&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団【阿片を呑んで彷徨った奇怪な悪夢の世界】

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