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人の切り売り

人は仕事をすることへの対価としてお金が発生する。

その仕事の価値というものは、お金の量で決まるが、では仕事の価値とはなんだろうか。

会社に入る場合、給料が良い会社に入るためにはそれなりの関門がある。その関門をクリアしたから良い給料がもらえる。仕事の質に対して社内での評価が上がるとわかりやすく地位と給料が上がる。(必ずしも比例するわけではないが)

では、他の会社の人と仕事の質を比較することはできるのだろうか。

つまり、給料は低いけど、良い仕事をしている人と給料が高いけどそれなりの仕事をしている人。これは平等ではなく、その業種は儲かっているか、会社が儲かっているか、学歴があるか(つまりスタート位置が同じか)など色々な要素を孕んでいて、非常に検討はできない。

現状の仕事に対する対価が不当だと思えば、転職をする世の中になったおかげで、仕事とお金の関係は仕事している本人が容易に選択できる時代なのかもしれない。もちろん現実的に、転職できない場合もあるのだろうか。(これには様々な要因があるので言及は避ける)

一方、その価値に対して平等である世界もある。その一つは芸能界ではないだろうか。

ファンがいっぱいいるので、この芸能人は価値が高い。

面白い作品を作り、賞も獲っているから価値が高い。

このようにその人、個人の才能や状況が価値にダイレクトに反映される。つまり竹内遼としての価値が、今の対価であるということだ。

もちろん、何も肩書きもなく実力もない現状の自分は全くもって無価値に等しいと思う。(人は生きているだけで価値がある的なのは一旦ぶん投げて考えよう)なので、現状の行いに対しての価値はないので、将来的に価値を上げるために今は努力するのだろう。ここに関しては、どの業種もそうだが、自分の価値を将来的に上げるために現状の努力を怠らないことは一番行い続けなければいけないことなのだと思う。(全体的に憶測でものを言っているのは、これが真実なのかどうか判断するには自分が若すぎて、何も判断できないからである。おそらく40年後ぐらいにこの憶測が確証に変わっている可能性もあるし、違う結論を出している可能性も大いにあり得る。)

そして、竹内遼という将来の価値に一番期待しているのが、竹内遼であることを忘れてはならない。ここが一番重要で、結局自己責任で自己心酔している竹内遼が存在しているのだから誰にも文句は言えないのだ。

こんな感じでだらだらと書いてきたが、一番思うことは

「これから一度でも、俺を無下に扱ったり、バカにしたような態度を取ったり、疑っているやつは一生忘れない」ということだ。

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