無意識的に「不幸」を追い求めてしまう危険。

無意識的に不幸を探し、追い求めてしまってはいないでしょうか?
「幸せになりたい」といいながら、望みながら、不幸を追ってしまう事は実に多いなぁと思います。

兎角、私もそんな面があるのだなと気づかされました。

例えば、見ているドラマや映画、よく聴く音楽などがわかりやすい例だと思います。

皆さんは、日頃、どんな映画やドラマ、または音楽などを見たり聴いたりしているでしょう。

もし、「幸せになりたい」と思いながらも、

暗い話や、切ない話、サスペンスなどばかりに目が向いてしまうのなら、
無意識の調整が必要かもしれません。

何故なら、無意識的に「何となく興味を惹かれるもの」は、現実の世界でも「何となく追い求めてしまっている」という可能性があるからです。

辛い事もあるうえで幸せがある。
努力があって成果がある。

そういったものの考え方は間違いではないと思います。
むしろそういった陰陽関係は全てに存在するからです。

とはいえ、

最初から最後まで幸せな人生
と、
苦労や困難の先に幸せをつかむ人生

極端ですが、選べるならどちらを選ぶでしょう。

現実や理屈抜きに、一般論など無視してただ自分の思いに素直になると
私は、最初から最後までお気楽で幸せな人生がいいです。

でも、最初は努力と苦労を積まなければという思考でしたし、苦労のない幸せなんて味わい深くないつまらない人生だ!
みたいな考えでもいました。

が、

素直に考えると、それも自分の中の「嫉妬」や「負け惜しみ」のような感情だったのかなとも思えるようになりました。

だから、私の場合、本当はハッピーストーリーに目を向けるべきなのでしょう。

でも、実際には、困難や苦悩、時には深い闇を覗かせるようなものに惹かれ、そういった映画や音楽、本などを選んで見たり聴いたりすることに多くの時間を使っていました。
なので、無意識的にそういった「どうしようもなさ」のようなものを追ってしまうように無意識が調整されてしまっていたのだと思います。

結果として、まぁ、そういう人生を過ごしているなと、振り返ると納得します。

でも、本心に素直になった今、

私は「豊かで幸せで恵まれた」人生を送りたくて
「困難」とかは特に欲していません。

なので、少し「意識的」に明るい音楽やハッピーな映画などを見聞きして「無意識」を調整しようと思いました。

が、

単純なシンデレラストーリー、良いことだらけのハッピーストーリーは実に少ない!
(ただこれも、もしかするとハッピーストーリーを探す能力が落ちているのかもしれませんが。。)

でもとにかく、なぜ、こんなにも不幸や悲劇のないストーリーが少ないのだろうか。

そこで、少し思う事は、

不幸や悲劇のない人生を見てもつまらないと思っている人が多いからなのだと思います。
もしくは、不幸や悲劇のない人生に共感できないという人も多いのだと思います。

つまり人は「刺激」を求めるのです。
そして、
ストーリーに「共感」するため「現実感」を求める人が多いのだと思います。

問題なのは、不思議な事にどんな世界観にも多分依存性があって、とりわけ深い闇を除くようなものはその傾向が強いように思えるのです。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
(ニーチェ)

そんな言葉がありますが、これ恐いですよね。

何というか、自分の周りの世界がそれなりに平和で自由だからこそ、その逆のものを「刺激」として求めてしまうという面もあるのでしょうが、
今よりもっと幸せでいたいと願うなら、もっと単純に幸せなモノを求めればいいのだと思いました。
そこに「現実感」も余計な「刺激」も不要。
必要なのは、むしろそのあり得ないストーリーを楽しみ、感じる、「共感」する事の出来る、素直な気持ちと「想像力」。

ところが、そういった想像力や素直さを失ってしまった大人は、一生懸命事を話を複雑に、ある意味で「現実的」に、そして悲劇的に、そしてそれがあるゆえの感動をストーリーとして生み出します。
そして、それら「共感」しやすいものを求め、行動してしまう。

そんな状態の大人の無意識は現実よりもさらに悲劇的な面を求めてしまっているという側面があるのです。

そうして、悲劇や苦難への想像力ばかりますます豊かになっていく事で、
いつの間にかその道を無意識的に探し求め、その道を歩いてしまう。

幸せになるのと不幸になるのはそれ程変わらない労力なのかもしれない。
けれど、
社会情勢や教育、環境などあらゆる面からの影響で、
幸せは難しくて、
放っておけば不幸になる
といった様な思い込みを多くの人が無意識に刷り込まれているのです。

最近では子供用のアニメでさえも、どんどん複雑になってきているので、子供の想像力もまた悲劇的な方面に活発化しているかもしれません。

たしかに、教訓を教えたりとの意味もあるかもしれませんが、
変に大人の創造した「現実感」を子供に押し付けるのはどうなのだろうか?

むしろ、大人こそ子供のための本を読んで学んだ方が幸せに近づけるのかもしれません。

夏に「読書」をしたお話は紹介しましたが、そのころ、実家で大昔の本もぱらぱらと見たりしていました。
その中でも「赤毛のアン」は思わず真剣に読んでしまった一冊です。
正直、昔は何とも思わなかった。
外でブラブラする方が楽しかった。

でも、改めて開くと

正に、想像力と幸せ力の良いお手本。
大人こそ、素直にあの本を読みなおし、生き方の参考にすると良いかもしれません。

最後に、ちょっとでも「幸せ」に近づくための私からの提案は

1本当の望みを書き出してみること。
2それに合ったお話しなどを探してみる事
3自分だけの、ただ幸せなハッピーストーリーをとりあえず考えてみること。

結構、難しく感じる人も多いのでは?と思います。

そしてもし、考えてみたハッピーストーリーの中に、少しでも苦難や絶望を付け足してみようとしたなら、無意識的に大きく苦難や絶望を探している危険性があるかもしれません。

その場合は、「無意識」を調整しなおしましょう。

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