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伝えることの難しさ

先日、Twitterでとある作家さんがご自身の作品に対する感想について、意見を述べておられました。

そのことに対して、いろいろと思うところがあったので書いてみました。

これはその作家さんや、読み手への批判ではなく、ただのわたしの感想です。あしからず。



その作家さんは、自著に対してとある感想サイトで、

この作品のテーマは〇〇だ

最近作品が立て続けに出版されていて量産している

みたいなニュアンスの感想が上がっているのを見たそうだ。


それに対して作者さんは、この作品のテーマは○○ではないし、頑張って書いた作品がご縁があって出版されたのに量産といわれると悲しい、とツイートされていました。

あわせて文句を言いたいわけではない、と。


ちなみに、わたしはその感想サイトを見てないので、実際の感想がどういうものかはわかりませんが、わたしは作家さんのそのツイートを見たときにふたつ思いました。

とある作品のテーマを△△と作者さんが決めたものの、それを読み手が○○と解釈するのは致し方ないのでは?と。

誤解を招くかもしれませんが、誤って認識されてしまうのは書き手と読み手のミスコミュニケーションのようなものだと思いました。

読み手の解釈が浅かったのかもしれないし、誤解を生む書き方があってそうさせたのかもしれない。

それはもうどうすることもできない、と。

正しく解釈しようとした結果かもしれないし、誤解を生まないよう書いた結果かもしれない。

だから、作者さんも文句を言いたいわけではない、と言ったのだと思う。


一方で、「量産」と表現したことには違和感を抱いた。

わたしは作家ではないので、生みの苦しさは到底想像もつかないけれど、想像つかないくらい大変なものだということはわかる。

それにも関わらず、たくさんの作品をわたし達に届けてくれることは本当に素敵なことだし、嬉しい。

お財布は薄くなるけども笑

また、すべて書き下ろしならまだしも、雑誌の連載だったり出版社さんの都合で立て続けに出版されたのだとしたら、それを量産と表現するのは失礼すぎる、と。

(例えば、作家デビュー○周年記念!連続刊行!!なんてたまに見かける)


量産という言葉は、量産型女子のようなマイナスの意味が多少はあるし、その方は明らかに褒めて使ってないと思う。

(関係ないけど、昔は「量産」に対してマイナスの意味もプラスにのイメージもなかったよね? 車メーカーが新車の量産体制を整えました、みたいな使い方でしかなかったような。)


恐らく、量産してて質が落ちてるとか同じような話を手を替え品を替え書いてるとか、そういうことを匂わせてるのでは?と思いました。


前にも書いた通り、わたしは該当の感想そのものを見てないのでわからないけど、そうなのかな、と勝手に思いました。

あくまでわたしの想像だけど、そのレビュアーさんも、作家さんが好きで作品を手に取り読んだのだと思う。

にも関わらず、本人にとって納得のいくものではなかった。

その悲しみを書いた。

そしたら、作者が目にしそれに対する返事を書いた、そんなところなのかな、と。



背景はわからないけど、作家さんが自分が設定したテーマを読み手に伝えることや、読者が感想を書くことの難しさを垣間見た気がする。

そして、こうしてSNSが発達したいま、そういった感想サイトにあげたものを作者本人が目にして、それに対してアクションがあることも珍しくないのだと思う。


そんな時代だからこそ、配慮はこれまで以上に必要だし、一方で自分の感想をねじ曲げるのもどうなんだろう。

とはいえ、否定的な感想や意見をすべて排除するのもどうかと思う。

そういう感想を持つ自由だってあるわけだし。

難しいね。





だからわたしはあんまり否定的な感想はTwitterやnoteでは書かずに心のうちに留めておくようにしている。

その時の自分のコンディションでも感じ方、捉え方はきっと変わる。

合わなかったとか、楽しめなかったくらいは書くけど、それくらいにして、次の作品をまた楽しみに待つだけ。








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