第11話:お注射
帰宅後、冷えた体を湯船で温め、焙じ茶を二杯淹れる。
一杯は自分が、もう一杯は目の前のりうちゃんが飲む。
有栖川りう(ありすがわ りう)という変わった名前の美少女と、こうしてテーブルを挟んで焙じ茶を飲むのが俺の嬉しい日課となっている。
彼女の笑顔は、俺を心の底から元気にし、活力を与えてくれる。また、天然ゆえにたまに仕掛けてくるえっちなイタズラは、俺の心身をものの見事に高揚させる。
どちらも、平凡以下でしかなかった俺の人生の素敵なスパイスとなっている。
しかし、今はそのどちらでもない状況にある。
そう、叱られているのである。俺が、りうちゃんに。
「キミは、明らかに運動不足」
「そうは言っても、運動する時間が...」
「お仕事大変なのは分かるし、平日に無理してまでとは言わないけど、休日ずーっとごろごろしているのも、健康的じゃないよ」
「うっ...」
三十路を迎えようとしている俺の下腹には膨らみがあった。お酒も飲まないのにビールっ腹のような、パンツの上に贅肉がのってしまっている。
「こ、これでも俺がりうちゃんくらいの頃は結構痩せてたんだよ!」
「それ10年以上前の話じゃん」
「ええ、まあ」
「『ええ、まあ』じゃないの!」
「すみません...」
大人には色々と忙しい事情があるのだが、それは言い訳に過ぎない。彼女だって、学校に部活動、バイトと多忙な毎日を送っているのだ。
「あんまり口うるさいのもどうかなあ、って思うけどね。でも一緒に健康で長生きして欲しいし」
「ありがとう...!なんかお母さんみたい」
「『りうママ』って呼んでも良いよ?」
「ほんと?」
「うそ」
だめなんかい!
ちょっと本気にしてしまった。なかなか良い響きじゃないの。
散歩を休日の日課にしようと計画を立てたりもしたが、三日坊主。予定は汲々として進まず、万年床でごろごろする休日に戻ってしまっていた。
「私の場合は学校で体育があるから良いけど、キミは休日に運動しないといけないから大変だけどね...」
「体育か...懐かしい思い出だ」
「体育の授業で何が一番好きだった?」
「うーん...」
運動音痴な俺は、そもそも体育の授業が嫌いだった。
特に、寒い日に校庭に放り出されて、ノイズ混じりのハウリング音の合図でスタートするマラソン前なんて、校庭に隕石でも落ちれば良いのに、と不吉なことを本気で考えたりもした。
でも、そういえば体育で好きなことが唯一あった。それは、
「キミが体操着を着て運動している姿って、想像できないなーあははっ」
そう!それだ!なんという読心術!
胸部や臀部の発育がよろしい女子生徒の体操着姿を合法的に拝めるという、唯一のご褒美があったのだ。それを励みに、なんとか校庭をはいずりまわっていた。
「体操着ってなんか...」
「なんか?」
すごくそそる。
「す、すごく懐かしい感じがする!」
「そっかあ、そうだよね。キミにとっては随分昔のことだもんね」
「ああ、青春時代よ。戻れるなら戻りた...くはないな」
俺の青春時代など、暗黒時代に等しい。
時空を戻れる片道切符がこの手にあったとして、まず使うことはないだろう。
「何事も格好からって言うし、体操着着たら運動する気になったりして?」
「りうちゃんが体操着を着てくれたら本気出す」
「ほんと?」
「うん。...え?マジで着るの?」
「うん、キミが運動する気になるならそのくらい全然」
「するする!めっちゃする!...あ、でもジャージだよね?」
「今日は暖かいからショートパンツかな〜」
ショートパンツか。
そうだった。自分が学生の頃はまだ女子生徒はブルマを履いていたが、いつからかショートパンツに変わってしまった。様々な事情を推し量らんこともないが、俺としては誠に遺憾である。
「あのぅ...」
「なあに?」
「ブルマ...とか持ってない?」
「持ってるよ」
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