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第3話:届かぬ声


故郷では、秋が終わると、世の中の彩りが失われた。
でも、そうではない世界があるということを、東京に移り住んで知った。


紅葉や銀杏に代わって街を彩るのは、色とりどりのイルミネーション。
都会の街は、夜というドレスを纏い、煌びやかに着飾っている。

もうじきクリスマスだ。

10年程前、まだ俺が学生だった頃は、クリスマスが嫌いだった。


日本のクリスマスと言えば、恋人たちの思い出づくり期間である。恋人など居たことのない俺は、誰がそう決めたんだと文句を言いたくなったものだ。リア充爆(ry

しかし人間は、良くも悪くも、柔軟に対応していく生き物らしい。

数年前からは、手を繋ぎながら街を歩くカップルを多く見かけるようになると、ああ、今年もクリスマスがやってきたんだな、と、ただ淡々と感じるようになった。
最近に至っては、見慣れた風景が、この季節だけ変化する様子を楽しむ余裕さえ芽生え始めている。悟りの境地とはこうして辿り着いていくものなのだろうか。

だが、今年もクリスマスの足音が聞こえ始めた今、俺の心はいずれとも異なっていた。
聖夜が近づくにつれて心は高揚し、むず痒いもどかしさを感じている。

「よっ...と」
自宅の鍵を取り出す時に、鞄の底をチラッと見る。瀟洒なリボンに包まれた小箱を確認すると、思わずニヤけてしまう。こんな気分は初めてだ。

今日は、上司からの嫌味を二、三背に受けつつ、残業もそこそこに退社し、帰路とは反対ホームの電車に飛び乗った。煌びやかな都会のデパートへ足を運び、買い物を1つ。
普段は足を踏み入れることもないような店で、触れることもないようなモノを、思い切って購入した。買い物1つするだけでここまで緊張することになるとは...

「ただいまー!」
「あ、おかえりー!今日も遅かったね、お疲れさま!」

元気の良い返事が返ってくる。
りうちゃんだ。

とある出来事をきっかけに、2、3日に一度くらいの頻度で家に遊びに来るようになった美少女。
子供っぽい無邪気さと妙に大人びた部分が共存するこの少女に、俺はベタ惚れなのだ。

「手洗いうがいして、ご飯食べよ!今日は寒いからポトフにしたよ!」
「おー!お腹空いたなぁ」
「温めておくね!」

まさに恋人同士のような雰囲気を醸しているが、正式に恋人という訳ではない。
諸々の事情があり、知人とも友達とも恋人とも呼び難い、不思議な関係が続いている。でも、それが俺にはとても心地良い。

「いただきまーす」

二人で小さなテーブルに向かい合い、両手を合わせてポトフを頂く。

彼女はまだ高校生なのだが、そうとは思えない程に料理が上手だった。
彼女が家に遊びに来るようになった当初は、自分が夕飯の支度をしていたのだが、「ご馳走になってるばかりで悪いから」と、少し前から彼女が夕餉を担当するようになっていた。

一体どこでそんな花嫁修行を...と心配になってしまうほど、料理が抜群に美味い。彼女曰く、小さな頃から母親と一緒に料理をして仕事帰りの父を待つ習慣があり、その時に色々と仕込まれたそうだ。

「今日も美味い!あ、ベーコン入ってる」

彼女が作ったポトフには厚切りのベーコンが入っていた。実はこのベーコン、スーパーで買ってきた出来合いのものではない。彼女に言われて俺が買ってきた、豚バラのブロック肉を使って彼女が作った自家製ベーコンだ。

ブロック肉にキッチンペーパーを巻き、余計な水分を吸い取る。塩を満遍なく擦り込み、ブラックペッパーと、バジルやオレガノといったハーブ数種類をまぶす。
そのまま冷蔵庫に保管し、3日に1回程度、キッチンペーパーを取り替える。10日間ほど寝かせれば自家製ベーコンの完成だ。
ここまで手の込んだことを、アニソンを口ずさみながら軽々やってのける高校生に、自分は空いた口も塞がらなかった。恐るべし、りうちゃん。

「そうだよー!お肉食べて、精を付けないとね!」
「ぶっ!!」
予想外の返答に思わず吹き出す。
我ながら男子中学生並みの思考だと思うものの、唐突に「精を付ける」だなんて言い出すのも反則だと思う。
「あのねえ、変な意味じゃないし。まったくキミはすぐそういう...」
ジト目で睨まれてしまう。ちょっと頬を紅潮させた表情が、またなんとも可愛い。
言ったら本気で怒られそうなので言わないけれど。
「ち、違うって!ちょっとセロリが喉につっかえただけ」
「ほんとにー?」
「ホントホント」


そうだった。
相変わらず疑いの眼差しを向ける彼女に、今日は大事なことを確認しなければならないのだ。
「そうそう、“せい”で思い出した」
「食事中」
「だから違うって!その“せい”じゃなくて」
「じゃあどの“せい”なんですかー」

食事中にせい、せい、となんてハシタナイ。

「セイントの聖だよ。もうすぐクリスマスでしょ。それで、その、りうちゃん、イヴの日の夜って空いてたら家に来ない?」

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