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初めまして

自己紹介♪


現在わたしは会社を経営をしながら
カラーセラピスト+アジェンディストとして活動しているyuNaと申します。
現在は、夫と愛猫2匹、母と生活しています。

アジェンディスト(agendist)とは
ライフスタイルコーディネーター、
そして作家でもある松浦有珂さんが考案された、手帳の専門家のことで、
agend(手帳)+〜ist(〜を活用する人)と言う意味。
脳の仕組み(脳科学)を利用して、
あなたの夢や理想を叶えるためのサポートをする手帳講師です。

ライフクリエイトダイアリーとテキスト


もともと私は、引っ込み思案でマイナス思考
自信があるように見られがちだけど
自信なんてなくって
常にビクビクしていました。
「この場から居なくなりたい」と思ったことは数知れず。

毎日が苦しくって
「誰も分かってくれる人はいない」
「いつも嫌な役回り」
「わたしなんて」

と、思っていました。

それが今は
「私にもできた!!」という達成感と
「生きてきてよかったな💓」という安心感
「有難いな~✨」と、思える環境に
少しずつ身を置けるように。

マスターアジェンディストのよーこさんと
右側がわたし


▶ちょっと長くなりますが、ざっくり生い立ちを紹介

わたしは決して、恵まれた環境とは言えない環境で育ちました。
兄弟には、年子の兄が1人います。

幼少期は親戚の家を転々。

母の家出、実の父親からの虐待
家ではご飯がない日があったり、
学校に持っていく、お弁当がなかったり、
高熱が出ても、すぐに病院へ連れて行ってくれる人はいませんでした。


▶ 小学校3年生の頃に両親の離婚

わたしは実の父親と離れられることが本当にうれしかったので、
母の彼との同居に対して恐怖や不安はなく
「これで普通の生活になる」と安心した覚えがあります。
(育ての父には、良くしてもらいました。)

ただ、わたしが小学生の頃は、
離婚している家庭は、一クラス40人に1人~2人位の数で、
とても珍しい存在。

学校ではいじめの対象でした🤣

そのころの私は
せっかくできた、自分の居場所を無くさないために
出来ることを必死にやりました。

それこそ、
朝ごはんや夕飯の支度も
当たり前のようにやっていました。

そして、中学校3年生の頃に母親の再婚

名前を変えることに恐怖があったのですが
(根掘り葉掘り聞かれるのが嫌だったので)

「高校にあがる前に変えておいた方が生活しやすいだろう」
ということもあり、母が再婚。
そして苗字が変わりました。

▶高校生活

楽しい高校生活がスタートしたと思いきや
あることがきっかけで、嫌がらせの対象に。

女子の派閥づくり?に
わたしは理解ができなかったんです。

今までも虐めにもあったことはあったし、辛いことはあったはずなんだけどはじめて、心が折れて
「死にたい」と母親に話しました。

結局は、嫌がらせをしてくる彼女のために
人生を壊すのはもったいないと思って
通信とか学校を変えるとか考え直し奮起。

周りの誤解も解くことができ、
高校を卒業をしました。

▶短大卒業後、社会人になってから


誰よりも早く出社(7時50分)、
帰りは終電近くまで仕事。

私は都内大手のニッチな会社で働いていたのですが、
会社の要となる部分を担える
この仕事に誇りを持っていたし
先輩との関係も良く、
たのしく仕事をしていました。


しかし人事異動により
身も心もズタボロ。
気づいたら病院送りになっていました。

そしてフルタイムでは働けない状況。

家族も含め
精神的に支えてくれる存在がおらず


その間に、父のリストラで
自宅を競売が決定。

母から、
「らいあん(猫)と共に来月には家を出てください」
と突き付けられることに。


『沢山の理想を現実にしている大人たちとの出会い』

正直、社会の理不尽さに打ちのめされて、気力も無くしかけていたけど、
20代の時に出会った人たちの影響により
(業種問わず、著名な方や億単位の売上を出されている方々)
私の価値観が変わっていきました。

現実は辛いもの
そう、感じている私からすれば

煌びやかな生活というのか、
夢を現実にしているひとたちは

眩しくって、息苦しさいっぱいでした。

ただ、この人たちの考え方や行動パターンを知れば、
私の生活も少しは生活が変わるんじゃないかと思って
たっくさん学びに通いました。

出逢いによって追加で描いた理想•••
■タワマンに住んでみたいな
■好きな時に好きな場所に行きたい
■場所とか、関係なく仕事ができるって最高だよね
■時間関係なしに起きるとか憧れるな
■お昼寝とかできたら嬉しいな
■好きなことをしながら人に喜ばれる仕事ってめちゃくちゃいい!!
■月1旅行とかいい!!
■季節を追って生活するっていい!!←これはまだだけど、夫と話しをするように♪すごい進歩なんですよ

これらの夢や理想は、すべて現実に!

リビングから撮った朝焼けの空


当時、アジェンディストと言うものはなかったけど、
やってきたことはGPS手帳のメソッドと同じ。

ただ、あの頃は男性視点のお話しも多く、
わたしには、なかなか落とし込むことが難しかったです。
また独学で勉強しながら、
セミナーに通う、人の話を聞きに伺うといったことをしていたので、
情報が散乱していたかなと思います。

藻岩山にあるジュエルズからの景色2022年8月



だから、思い描いた理想を叶えるまで20年近くかかりました。


▶『残酷ないたずら』

30歳になってから、育ての父の誕生日に
温泉旅行をプレゼントをしました。

わたしが働きだして10年、
働くってこんなに辛いもの。家族を守るって大変なんだ」と感じ、
ここまで来れたのも、
養父の応援があったからこそだったので
感謝の思いを手紙とともにカタチにしました。


ただ、、、
それから一カ月もしないで
継父のが発覚。(ステージ4
末期だったのもあり緊急入院

発覚してから2カ月後、
養父(享年62歳)は旅立ちました。
毎年、健康診断は受けていたし、
その年の健康診断も問題がないという診断だったのに、、、

そして、わたし自身、
実家を出ようと思っていた矢先の出来事でした。

父が亡くなった時は本当に恐かった。
震えが止まらなかった。


どうやって生きていこうか。
母と、動物たちを面倒見なきゃ。
私がもっとがんばらなきゃって
プレッシャーの波にのまれました。

その半面で、
一人では生きていけないという母(当時50代前半)に対する憎悪も
大きくなっていきました。


この憎悪と向き合えたきっかけは
松浦有珂さんの2022年3月に行われた
メールワーク21daysレッスンでした。


『今が幸せと言える人生を』

現在は、夫と、老猫2匹、
母と一緒に暮らしながら

不動産コンサルや、事務代行、セミナー開催等のお仕事と
アジェンディストのお仕事をしています。

わたし自身が、沢山悩んで
ここまで来たので、
そういった女性のサポートが出来ることを嬉しく思います。

これからも、頑張り屋さんの女性が
もっと心地よく生きれるように力になりたいと思っています。

「もっと軽やかに、優しく生きていい」

ありきたりな言葉かもしれないけど
何もない人生は無いなって。

不安や、不便を感じたことは沢山あったけど、
その分出会いも色々ありました。

お陰様でいまが本当に充実していて、
「最幸」と言えます。

結婚なんてしないと思っていた私が
いまでは最高のパートナーに巡り合い、
ともに仕事をしていたり。
毎日が良い意味で、裏切られています♪

これからも、
悩んだり迷うことはあると思いますが
自分も周りも大切にしながら
納得いく人生を歩んでいきたいです。


最後まで
お読みいただきありがとうございました💗

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