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「愛しき鳥」

2022年4月8日のエッセイの再掲です。


家で飼っている鳥に、名を呼びかけて手を差し出すと、必ず寄ってきて、その手に乗ってくれる。
毎日のことで、それが当たり前だと思っている。
けれどこの間ふと、「乗ってくれるかな?」と、なぜか初心に返ったような、出会ったばかりの頃の感覚がよみがえった瞬間があって、そのとき冷静になった。
小さな小鳥が、無防備にも巨人の手に乗ってくれるのなんて、ぜんぜん、当たり前じゃない。
思い返せば、出会って最初の日は、怖がって手に乗ってくれなかった。
あれから三年の月日を過ごして、私たちの関係を作り上げてきたのだった。

人間は、とりわけ小さな動物に対して親密な態度を取ろうとすることが多い。
かわいいと言って触りたくなるし、歩み寄れば敵意を向けられないと期待している。
しかし、相手は動物だ。
人間は勝手に言葉や思いが通じていると思っても、彼らは未知のものに警戒するし、本能的に危険を察知すれば逃げるし、逆に噛み付いてくることもある。
人の顔色を窺って、空気を読んだりはしない。
ペットという形で動物が人間とともに暮らすことが一般的だから、そして彼らは家族の一員として位置づけられるのだから、分かり合えることを当たり前に期待しているけれど、根本的には我々と彼らは違う。
だからこそ、私はうちの鳥が私の手に乗ることを確信していて、鳥は確かにためらいもなく手に乗る、という互いの信頼関係に、あっぱれだと思ったのだった。

それにしても、うちの鳥たちはかわいい。
彼らを見ていると私は、同じ鳥にさえなりたいと思う。
決して同じになれないから、心と態度だけは、いつも歩み寄るのだ。


かや

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マガジン『榧乃徒然』にて、毎日エッセイと日記を書いています。
今回のエッセイは、こちらの記事からの加筆修正による再掲です。


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この写真は、《上野の雀》



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