野田市虐待事件に触れて虐待サバイバーが思うこと

この事件が起きた約1年前から世間は一気に「虐待」を表立って取り上げるようになった
でもこういう事件は周りが関心を持たなかっただけで何年も前から実際に起きていること

世間は虐待もいじめもストーカー被害も、人がなくなってから初めてことの重大さに気づく
でもそれはそのこと自体が悲劇だと言うよりは、そーゆー問題に取り組んでます、向き合ってますってアピールばかりにしか当事者からは思えない

父親が全面的に悪いとか、母親はDVを受けてたから擁護される必要があるとか…!笑わせないでよ
実際に子供が1人亡くなってるんだよ

 DVを受けている人が逆らえなくなる気持ちとか従わざるを得ない気持ちとかわからなくはない
でも自分の子供でしょ?ほんとに守りたかったら命がけで守らなきゃ

子供は大人が思っている以上に賢くて、必死でSOSのサインを出していて…
それでも誰も助けてくれないってわかったときに絶望と諦めしか残らないの

「親にもなったことないくせに」て言う人もいるかもしれない
でも私はこのニュースを見ていて自分の幼少期や家庭環境とすごくリンクした
「助けて」と言葉で伝えることができなくても、表情であったり、答案用紙の隅っこに周りには気づかれないようにメモを残したり、親にバレないように教師当ての日記の中に点字でSOSを残したこともあった
それでも踏み込んできてくれる大人はいなかった

毎日の暴力や暴言痛くて苦しくて…怖くて休まる日なんてなかった
でも1番は関心を持ってもらえないこと、自分の意見を無視されること! 心が痛かった

虐待から救われて、今生きててよかったねって言う人もいる
確かに救われたこと、生き延びれた事は一般的には「よかったこと」になるのかもしれない

でも心の傷は誰も癒してくれないし、親も家族も何事もなかったように生きていて…
救われた事が全て言い訳じゃない
結局虐待を受けた当事者はその傷を一生背負っていかなければいけない

こうやって虐待のニュースが取り上げられるたびにその時の記憶がフラッシュバックしてまた苦しくなって絶望的になる人だっているんだ

親子だって人間だから感情的になったり、ぶつかり合うことだってあると思う
思いが伝わらなくってときには手を挙げてしまうことだってあるだろう
それが全て悪いとは思わなくて、そこに「愛情」があるかないかが問題なんじゃないかなって思う

私自身家族と絶縁してから1年
でも児童相談所に保護されたあの日から8年と言う時間がかかった
周りは勝手なことを言う人もたくさんいる
でも私はあの人たちを家族として認識することができないし、許す必要もないのかなって思う

通報があったから逮捕して事前に防ぐ!それが全て良いとは思えない
もちろん家庭にはいろんな事情もあると思うし、そこに行き着くまでの間に親であったり子供であったりどちらかは絶対サインを出しているはずなんだ
どうかこーゆーニュースをただ世の中の話題のネタにはして欲しくない
私はもうあの人たちを家族とは思っていないしかばうつもりもない

冷たいとか親不孝だって思う人もいるかもしれないけど、私は自分が受けた事実、そしてそこから学んだことを今の世の中に残していきたいと思っている

今現時点で起きている虐待やDVももちろん対処しなければいけない事は事実だと思う
でも過去にそういう被害を受けていまだに苦しんで悩み続けている人がいるっていうことも覚えておいて欲しい

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