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「大恐慌 欲望と破滅の1929年」

1929年10月24日、ウォール街を突如襲った株価大暴落。「暗黒の木曜日」を皮切りに世界は大恐慌に陥 り、多くの人生が狂わされた。「ブロードウェイの父」 と呼ばれた演出家は破滅、全米に愛された天才作家フィッツジェラルドの人生も転落する。その一方、市場崩壊 を見抜いた伝説的な相場師ジョセフ・ケネディはいち早 く売り抜いて巨万の富を築き、やがて大統領の父となる。永遠の成長を信じた人々の欲望と破滅の物語。

1929年10月21日、アメリカ、デトロイト。
ハーバート・フーバー大統領(31代アメリカ大統領)と共に現れたのは、82歳の発明王トーマス・エジソンである。
彼が白熱電球を発明してから50周年を祝い、この日ラジオで世界に向けたスピーチを行った。

🎙️エジソンのスピーチ

「大統領、そして皆さん。今後私の声が世界中に届くと聞きました。私の深い感謝の気持ちを示す異例のチャンスであります。そして、あなた方の数えきれない卓越した善意に感謝いたします。グッドナイト。」

しかし、

眩い光を放ったアメリカの繁栄は、このわずか3日後暗転する。

📉1929年10月24日 暗黒の木曜日

ニューヨークを襲った株価の大暴落。
株価は凄まじい勢いで暴落し、何の価値も無くなり、紙クズ同然となった。
銀行は次々倒産。全財産を失い、虚な目をした人が街に溢れた。
暗黒の木曜日に始まる大恐慌は、多くの人の人生を狂わせた。
ブロードウェイの父と言われたフローレンツ・ジーキナフェルド。
贅沢な限りを尽くしていたエンターテイメント会の巨人は、一夜にして借金地獄に転落した。

その反面、大暴落で巨万の富を築いた人もいる。

💰相場師ジョゼフ・ケネディ

ウォール街に悪名が轟いていた男が、暴落直前にいち早く売り抜けていた。その民が息子の選挙戦に注がれ、大統領誕生につながる。

🎙️ケネディの言葉

「最高値まで頑張るのは、馬鹿者だけさ。私はこうして健在だ。私は勝ったんだ。」

✒️作家スコット・フィッツジェラルド

アメリカの繁栄とともに彗星の如く現れた男は、若き才能も大恐慌の荒波に飲まれていく。

🎙️スコット・フィッツジェラルドの言葉

「ちょうど北アフリカのどこかにいた時に、我々は崩壊の音を聞いた。はるか遠くのその鈍い物音は、最果ての砂漠に響き渡った。」

1920年代のニューヨーク

第一次世界大戦の戦火をま逃れたアメリカは好景気湧いた。中心街マンハッタンでは、高さ250mを超える摩天楼が建設され始めたのもこの時代だ。
到来したのは、史上初となり大量消費社会だ。
美容製品から自動車まであらゆる広告が、消費欲を煽った。旺盛な消費欲が、更なる好景気を呼び、労働者の給料は、2倍に増えた。人々は、初めて生活必需品以外のものを買えるようになった。

そんな時代に、溢れんばかりの才能を引き下げて現れたのが、作家スコット・フィッツジェラルドだ。ミネソタの田舎町から好景気に沸き立つニューヨークにやってきた。その狂乱ぶり題材にした小説グレート・ギャッツビーがベストセラーとなった。

新しい音楽、ジャズの音楽の登場とともに、ジャズエイジと呼ばれた時代。
フラッパーと呼ばれる女性が街をがっぽした。
ボブヘアー、ミニスカート、酒にタバコ。
欲望を隠そうとしない女性たちの出現はジャズエイジのシンボルだった。

そして、彼自身も小説同様、若さに任せた無軌道な生活を送った。
妻は、フラッパーとして、名が轟いていたゼルダ・セイヤー。2人はいつもゴシップのネタとなった。
2人は酔っ払っては噴水に飛び込んで喝采を浴びた。湯水のように金を使い、パーティーとパーティーの合間に小説を書きなぐっては、飛ぶように売れた。

🎙️フィッツジェラルドの言葉

「私の原稿は、30ドルから1000ドルに跳ね上がっていた。若い時期に成功する代償は、人生がロマンチックなものだと思い込んでしまうことだ。愛や金銭が当然のように手にはいる。満たされた未来と物悲しい過去が混じり合った、ごく短い贅沢な瞬間。その時人生はまさに一つの夢だった。」

いつ果てるとも知らない好景気の中心地は証券取引所があるウォール街である。
そこでは、ブローカーがひきめきあっている。そのウォール街の建物の高いところの窓から身を乗り出しているのが相場師たちだ。
ハンドサインにより相場をブローカーに伝えていた。限られたプロしかいなかった株取引に大衆が参加するようになったのは、この頃からだ。
きっかけは、銀行が民間の取引仲介会社を設立してからである。株の専門知識がなくても、売り買いができるようになった。

大衆投資家の言葉

「食べ眠り夢を見て、株の話をする。金を稼ぐにはとにかく株だ。刺激的だ。」

人々の投資熱をさらに煽ったのは、発明家トーマス・エジソンが発明した市況速報期ティッカーだ。
全米に張り巡らされた通信網を利用して、株の値動きをリアルタイムで知ることができた。
ティッカーは大流行し、駅、美容院、ナイトクラブなどあらゆるとこに設置された。
目の前でみるみる上がっていく株価、人々は株取引に夢中になっていった。
1番の人気銘柄は、ゼネラル・モータース。
電話会社AT&T。エジソンの作ったGE。ラジオを作るRCAなど急成長の企業に投資が集まった。株価はわずか5年で3倍にも膨れ上がった。集まった資金は、企業をさらなる増産に走らせた。

潤沢なマネーは、エンターテイメント会にも流れこんだ。
その中心地ブロードウェイは、黄金時代を迎える。
音楽家ジョージ・ガーシュイン
コミカルな演技が人気のファニー・ブライス
黒いヴィーナスジョセフィン・ベーカー
中でも最高の人気を誇ったショーが、ジーグフェルド・フォーリーズである。
特徴は金に糸目をつけない豪華絢爛さ。
ラインダンスやコメディを融合させ、その後のミュージカルの礎となった。
このショーを作り出したのは、舞台演出家フローレンツ・ジーグフェルドである。

🎙️ジーグフェルドの言葉

完全な日こそ偉大なアメリカの大衆。つまり疲れたビジネスマン、寮母やメイドが望むものであり、肉体の美こそ世界を支配し続けるだろう。

そして、私生活も贅の限りを尽くし続けた。
数十人の執事や料理人を抱えた暮らし。豪勢なパーティが夜ごと開かれた。
お気に入りの女優に高額なプレゼントを渡し、数々の浮き名を流した。
そして、生きがいであるショーには、それ以上の金を注ぎ込んだ。特に圧巻と言われたのが、セットの華やかさだ。1回の公演に現在の価値で1億円も投じることもあった。
豪華なショーを作るためには金が必要だった。株投資にものめり込んでいった。

ウォール街には信用買いと言う新たな仕組みも生まれ株ブームを加熱させていた。
投資家は1割程度の証拠金を支払えば、残りは借金でその10倍の株を買うことができた。
株が上がれば、利益は10倍になるが、下がれば損失が膨らみ追加の証拠金の請求に迫られることになる。

だが、投資家は、株は上がると信じ込み、身の丈以上の投資に身を染め始めた。
そんな株式市場で、1人の伝説的な相場師が現れる。

💰ジョセフ・ケネディ

ケネディが、投資の才覚を発揮したのは、1926年巨大ハリケーンの時だ。
ハリケーンにより、人気のリゾート地が壊滅的になり不動産価値が大幅に下がった。
多くの投資家が投げ売りする中、ただ1人ケネディだけが逆張りで、底値となった土地を買い漁った。
大恐慌は、その7年後のことだった。
政府が復興のための資金1800億ドルもの復興のための資金を投入すると、不動産価値は再び高騰。底値で買った土地を高値で売り捌いた。

🎙️ケネディの言葉

「ギャンブルの背後にある主要な動機は大抵の場合、それがもたらす興奮であるとも思う。賭博師は、もちろん勝つことを欲してはいるが、たとえ負けても結構楽しんでいる。だが、私にとっては興奮よりも、むしろ勝ちたいと思う気持ちが、陶器の背後にある原動力である。」

しかし、

ケネディには、悪辣と言う評判がついて回った。インサイダー取引、株価操作。まだ、整備が整わない法律の抜け穴を利用することを駆使していた。
彼は、友人にこう語っている。

🎙️ケネディの言葉

「株で儲けることは簡単だ。法律で禁止されそうなことを禁止されている前にやればいい。」


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