【美容整形】二重整形と眼窩脂肪取りをしてみた話④

③の続きです。

◎抜糸後
私は目蓋の脂肪取りも併せてやってもらっていたため、元々2ミリくらい目蓋を切開していました。
その傷はすでに塞がっているのですが、埋没で作るふたえのラインに沿って切開しているので、少なくとも2週間はクセ付されていたためか、今でも以前の奥二重に戻りません。
左目だけ食い込みが弱くなっていますが…。

片方だけ以前の奥二重に戻ったら、それはそれで嫌だな〜と思っています。
戻るなら両眼とも同時に戻って欲しいし、戻らないなら両眼とも戻らないでいてほしいです…。

とりあえず、追々ラッシュリフト系のまつげパーマをかけてもらって、まぶたのリフトアップが出来たら良いな、と考えています。

とはいえ、仮に片方だけ戻ってしまったとしても、今後はメイクでどうにかしようと思っています。

◎今後整形する前に考えたいこと
今回初めて美容整形というものを経験し、今後守ろうと思ったことは以下の通りです。

⌘コンプレックスで苦しんでいて、ありとあらゆる手を尽くしても解決しなかったときだけ、整形を検討する⌘

私で言えば、目袋とクマについては、あらゆるコンシーラーや高級なアイクリームなどを試しても、メイク方法を模索しても、少しも改善しませんでした。
年単位で涙ぐましい努力を続けましたが、結果に現れなかったので整形するに至り、結果は大満足です。

しかし二重は、「パッチリ二重になったらいいな」程度の気持ちでした。
以前の奥二重も物凄く嫌いというわけではありませんでしたし、アイプチやアイテープでどうにかなる程度のものでした。
アイプチの使用によって目蓋の皮膚がかぶれたこともありません。
結果、「本当にやってよかったのかな?必要な時にアイプチをしておけばよかったんじゃないかな?」という気持ちから目に執着するに至り、心が囚われ疲れてしまいました。

◎私が感じた「整形成功」の定義
おそらく美容業界では、左右対象や黄金比など、美の定義が色々とあるのだと思います。
しかし、私が感じた整形の成功とは、整形したことにより、本人が明るく前向きになれたか、が重要と考えます。

例えば二重整形では、生まれつきの目に対し、
「目つきが悪い」、「睨まないでよ」などと周囲が心ない言葉を投げかけ、それがきっかけで人の目を見て話すことができなくなってしまった。
アイプチを試すも、目蓋の皮膚がかぶれて真っ赤になってしまい、大好きなメイクが楽しめない。
など、本人がこれまで悩み、苦しんでいたことから解放されれば、どんな造作の二重でも大成功と言えると思います。

◎誰も私の顔なんてじっくり見てない
私も術後友人と会い、整形の話をしましたが、
「全然分からなかった!言われてみればクマなくなってるね〜」
程度のリアクションでした。
二重幅が若干広くなっていることに対してもノーコメント。
人の顔への興味なんてその程度だよな〜と、改めて感じました。
特に普通の会社員や学生さんは、顔を商売道具にしているわけではありませんので、本当に自己満足の世界なんだと思います。
だからこそ、客観的に見た造作の美しさ以前に、自分が満足できれば成功、できなければ失敗です。
それで言うと私は、眼窩脂肪取りは成功、二重埋没は失敗でした。

◎整形後に思う人様のお顔
埋没したことがきっかけで、自分の顔に囚われいろいろな粗が目につき、醜形恐怖症一歩手前に陥ってしまいました。
雌雄眼だし、面長だし…。
しかし、上で書いた友人に会う前に実家に帰って家族に会った時も、誰一人として私の顔の変化に気付きませんでした。
家族とは言え、それだけ人の顔には誰も執着していないんだなと実感しました。

さて、整形後に思う人様のお顔についてですが、これまでの人生含め、人様のお顔を見ていちいち、「この人かわいいな」とか、「この人ブサイクだな」なんて、一切感じたことが無いことに気付きました。
そもそも人様のお顔にコメントできる顔面を持ち合わせていないこともありますが、それがなくても、人様の見た目をどうこう思ったことって無いな、と気付いたんです。

例えば会社の同僚であれば、顔が好みだから一緒に仕事をしているわけではありません。
ただご縁があって同じプロジェクトで頑張っているわけですが、仕事をしていくうちに、同僚の人となりを少しずつ理解していき、仕事に対する姿勢を尊敬したり、仲良くしたいと思ったりするわけです。
そしてそこに、その人の顔の造作なんて微塵も関係ないわけです。
それは友人に対しても同じです。

「今日のアイシャドウの色素敵だな」、「新しい髪型似合ってるな」と思うことはあっても、顔の造作そのものに対して何か感じたことって、そういえば皆無なのです。
逆に言えば、人の顔になんて、その程度の興味しか持ってないということです。
それが現実でした。

友人や同僚のお顔は、その人を認識するための最初の目印に過ぎず、そこに美醜の概念は元々無かったのです。
逆に言えば、私の顔に対しても誰も興味がないのです。
そもそも、美醜を議論するステージに最初から誰もいないのです。

1.5ミリ二重幅が広がろうが、クマが薄くなろうが、周りは何も変わりませんでした。
私の中だけの出来事でした。
最初から私の顔は「こんなもんだった」のです。

今後は整形前より更に顔に囚われず、もっと他のことに神経を使おう、と思った出来事でした。

自分への戒めと備忘録として、ここに記します。

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