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推し活と離脱と強すぎる重力

一年以上ぶりに投稿します。
前回の投稿以来、いろいろなことがありました。

2022年
9/4 ACT:LOVE SICK in おおきにアリーナ
11/29 MAMA2022 in 京セラドーム

2023年
4/19 ACT:SWEET MIRAGE in 埼玉スーパーアリーナ
7/2 ACT:SWEET MIRAGE in 京セラドーム

ありがたいことにライブだけでもこんなに参戦でき、その他にもカムバだったりイル活だったりセンイルを始めとした各イベントだったり…
社会人でありながらこんなにもたくさん推し活をできたというのはとても幸せで恵まれていると感じます。

生のTXTに会えたということを、いまだに信じられていない。四回も見ているはずなのに、何度見てもステージの上に実はスクリーン、あるいは最新のホログラム技術かなにかでも使われていて、バーチャルのTXTを拝んだような気分。
そう感じずにはいられないほどTXTは遠くて尊い存在であり、キモオタ風に言うと「僕のような下卑た存在の前にTXTが現れたなんて夢だ!!!」というような感じです。自分で言うといてガチできもい。

本物のTXTに会えたことも嬉しかったし、何より今までSNS上でしか話したことがなかった人たちと会えたのが嬉しかった。

「SNSで知り合った人と会う」

学生時代散々注意されてきたことだし、何より人見知りで友達が少なかった僕には関係ない話だと思ってました。だからまさか自分が当事者になるだなんて夢にも思っていなかったし、初めて会う時の緊張は今でも覚えています。心臓をバックバクさせながら

「どんな人だろう」

「上手く話せるかな」

「幻滅されたらどうしよう」

こう思いました。初めて会ったのは1歳下のナムジャで今ではずっとLINEでもやり取りするくらい気心の知れた友達ですが、あの時は本当に怖かったです。SNSではいくらでもキャラを取り繕えるから、自分で勝手に作り上げた理想と現実とのギャップに幻滅されたらどうしようと悩んでました。でも実際に会ったMOAたちはみんな本当に優しくて、今でも変わらずやり取りしてる人たちばかり。自慢じゃないですけど、僕は交友範囲はとてもとても狭いですが、その分本当にいい人たちに恵まれている自信はあります。

そんな幸せに満ち足りて「推し活万歳!!!」な一年でしたが…今、ある意味人生最大と言っても過言ではないような危機に陥っております。それが、

推し活離れ。

私、ただいまTXTから離れております。

理由は単純明快で、環境の変化と多忙。ある時期を境に仕事の環境は変わるわ、人生初の一人暮らしを始めるわ、仕事量が何倍にも増えるわの変化三昧。今までは定時が来るのを退屈に待ちわびていたのが、気づけば一瞬で定時+終わらぬ残業の毎日。

推し活とはすり減った元気を補充するために行うものですが、実は行うのにもまた元気が必要なのです。推しをなめ回すように愛で、最高に輝く一瞬を血眼になって切り取るための眼力。圧倒的供給を処理するための思考力。最高さを語り尽くし共有するための語彙力(最高さとか言ってる時点で語彙力がないのは自明です)。これらすべてを総動員するためには、並々ならぬ体力が必要なのです。

こんな毎日の中では推し活をするような余裕はあるわけなく、今僕はTXT界隈からだいぶ距離を置いている状態にあります。

「好きなのに見れない。」

こんなに辛くて残酷なことってなかなか無いと思います。離れてるけど好きなんです。愛おしくてたまらないんです。でも、目に入れるのがとてもしんどいんです。心の余裕が足りないから。
推し活がわからない人には「それって嫌いじゃんwww」とか心無いことを言われそうですが、そうじゃねぇ。好きだからこそしんどいんです。

何より一番辛いのが、最高の供給を目の当たりにした時に心が動いていない自分に気づいた時。SNSも浮上頻度は極端に下がりましたがチェックはしております。そして、推したちはそんな僕の存在なんか当然知る由もなく、最高の供給を惜しげもなくドドーン!!!と投下するのです。
多分今までの僕が見たらとりあえず発狂して小躍りして、小躍りでバテた体を一旦クールダウンさせた後に冷静になってもう一度供給を見直して、再び頭を抱えながら枕に顔をうずめウーウーうなっていたはずですが、今の僕は「今は推し活をする余裕がない」という考えで頭ががんじがらめになっているせいで、爆弾投下を見ても恐ろしく冷静でいられるのです。そしてそんな冷静になった自分に気づいた時、好きだとわかっているはずなのに

「もう興味ないんじゃない?」

「むしろ嫌いになってない?」

「ペン卒か?」

*ペン卒:K-POP用語でファンを辞めること。

と余計なことを考えてしまい、それがとてもとても苦しいです。そのような感情に陥ってしまうと、推しを見ることがしんどいだけでなく怖いとすら感じてしまいます。
実際はそんなこと無いのに、推しをまじまじと見つめ直すことで本当に興味が無いと気づいてしまうんじゃないか、と余計な杞憂をしてしまわないか心配で。現に、この記事も少し不安な気持ちで書いています。

唐突ですが、「アイデンティティクライシス」という言葉をご存知でしょうか。めっちゃ簡単に言うと、「自分は何者なのか」という疑問にぶつかることで起こる心理的危機状況のことです。
今まさに、僕はその状態だと思います。近年の僕はすべてをTXTに捧げていたし、楽しい時も辛い時も常にTXTがそばにいました。だから、そんな僕からTXTを取ったら何も残らない。ただの中身がない社畜が虚しく立っているだけです。

…そんな人生悲しすぎるし、何より悔しすぎる。だから、何とかしてこんな現状を打破すべく腰を起こしました。まず初めは、本当に初歩中の初歩ですが音楽を聴くことから。振り返ると、供給を避けていただけではなく曲すらまともに聴いていなかったのです。そしていざ聴いて見たらもう…自分でもびっくりするぐらい色んな感情が溢れてきたんですね。

太陽が照り返す蒸し暑い夏を心地よくしてくれ、ライブではみんなで合唱した、幸せのOur Summer。

辛くてもう逃げ出したい時、辛いと感じていることをただただ肯定だけしてくれたMaze in the Mirror。逃げようかと連れ出してくれたRun Away。

社会人一年目、慣れない時期に聴きすぎたせいで聴いているとその時がフラッシュバックする、ちょっぴりほろ苦いOpening Sequence。

散歩をしながら、ふと夜空を見つめた時にどこまでも飛んでいけそうな気がしたDear Sputnik。

楽しい気持ちを際限なく高めてくれたBlue Hour、MOA Diary、Sugar Rush Ride…

昔の曲から今の曲まで、書ききれないほどにたくさんの思い出と感情が詰まっていました。その時に感じたんですね。

やっぱり、好きだ。

どんなに距離を置いても、ちょっと近づいただけでTXTは僕を一瞬にして引き寄せてしまいました。まるで強力な重力のように。

好きという気持ちさえあれば、熱量は関係ない。どんなに近くてもどんなに遠くても、好きでいる限り推しはいつでも帰って来られる場所として、僕たちを待っていてくれます。そんな推し活の大切な意味を、離脱期間に気づけた気がしました。

皆さんは今好きな人、こと、ものはあるでしょうか。その好きが、もしかしたら苦しく感じ、自信を無くしてしまう時が来るかもしれません。でもそれを乗り越えた先には、好きでいることを誇りに思える日が必ず来ると思います。そこには熱量の大小は関係ありません。ぜひ今の気持ちを大切に、大事にし続けてください。

みなさんの推し活がより楽しく、より誇らしく、そしてより気楽に。そうなればと思い、この記事を綴りました。変わらず冗長で未熟な文章ですが、ここまで読んでいただけていたらとても嬉しいです。ありがとうございました!

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