その36 ほころびは小さな妥協から

何かをやろうとしたのにめんどくさいが勝つ。

うだうだ言い訳をして結局なにもやらない。

そんな経験はないだろうか。

そんな気の病む思いをした話。

昨日、嫁さんがいないのでほにゃららビデオを借りることがよぎった。

「こんな機会めったにないしな」

何年ぶりだろうと借りる自分にちょっとワクワクした。

さて、結果はどうだろう。

借りなかった。

なぜか。

なにかと言い訳をしてしまった。

・バレたら怒られる
・会員カードがない
・混んでる
・混んでる中ほにゃららを借りるのは怖い

こんな感じに。

結局なにもしなかった。という顛末。

私の人生、往々にしてこんなモードが多い。

よしやるか!と思っても行動に行かない。

なにかと言い訳をして辞めてしまう。

それでなんとも思わなければいいのだが、病む。

こんな自分にがっかりする。

じゃあやれよって話。その通りである。

やればいいだけ。本当にそれだけでいい。

こんな後悔の念にさらされるくらいならやれ。

もうやることを目的にやる。それしかない。

ただ私はこの現象は氷山の一角だと思っている。

ここが今日私のもっとも言いたいこと。

この妥協はこれまでの妥協が生んでいる。


どういうことか。

妥協はこれだけではなく、この印象的な妥協以外にも実はひっそりと消えてた妥協が裏にたくさんある。

だから妥協することへのハードルが低い。

低いのでつい妥協をしてしまう。

妥協するのが当たり前モードになっている。

例えば文字を雑に書くのもそう。
私の場合だいたい殴り書き。"口"の字が囲えない。だいたいどこか開いている。酷いときは丸にする。めんどくさいからだ。

ご飯を噛まないのもそう。
仕事を6割くらいの完成度で止めるのもそう。
落ちてるゴミを拾わないのもそう。

これを積み重ねた結果「ほにゃららビデオ借りなくていいや」という妥協に結びついたのではないかと思う。

妥協が妥協を生む。そう思ってならない。

だからこれを打破するカギは、何に対しても妥協するなと心に誓うこと

これだなと。

目の前に落ちているゴミを拾わなかった・・・その小さな小さな妥協が、雪だるま式に大きくなって自分にのしかかる。

だから私は目の前の小さなことを妥協することから卒業したい。

いや、していく。





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