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ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」大阪公演 観劇記録

会場     :梅田芸術劇場
観劇日    :7月7日(水)12時公演
Wキャスト配役
ロミオ    :黒羽 麻璃央
ジュリエット :天翔 愛
ベンヴォ―リオ:味方 良介
マーキューシオ:新里 宏太
ティボルト  :立石 俊樹
死      :堀内 將平

【Attention】
感染症対策をしっかり行ったうえで、劇場にて観劇してきました。
感想と言うよりは、感じたことをバーッと書いていきます。
推し以外のことも書きます。
思ったことを好きに書きます。
ネタバレについては配慮無しで書いていきますので、ライブ配信未視聴や未観劇の方はお気を付けください。
長いです。
めちゃくちゃ長いです。
推しについては、二回目の☆★列の次から書いています。

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黒羽ロミオ、味方ベンが初めましての観劇だった。
他のキャストは6月6日のライブ配信を鑑賞した時のキャストだったのだが、組み合わせが違うとこんなにも印象が違うのかと素直に驚いた。


黒羽ロミオは、純粋さと繊細さを併せ持つ青年だ。
社交的だし華もあるのにナイーブさが垣間見えて、とても溌溂としていた甲斐ロミオと比べると少しだけ内に想いを秘めている度合いが強いのではと思った。
だからこそ、ジュリエットとの出会いの場面から恋に落ちるまでのシーンがとても初々しくて、見ているこちらが思わず照れてしまうくらい目がキラキラして、運命的な二人の出会いの場面を彩ったように思う。
加えて、バルコニーにいるジュリエットの元に忍んでいった時の第一声の「恋人と呼んで」の歌い出しの破壊力が半端なかった。
ジュリエットの事が好きで、好きで、好きでどうしようもなく愛おしいという気持ちがその歌声に込められていて、なんて甘く優しい声で歌うのだろうと、一瞬で鳥肌が立った。
歌っているのに、囁いている。
これぞミュージカルという感じで、歌でありセリフである歌い方に圧倒された。


天翔ジュリエットも恋に憧れを抱き、好きな人と結婚したいという純粋さがライブ配信の時から更に磨きがかかっていたように思う。
今回の公演を観て、黒羽ロミオと天翔ジュリエットは、純粋さの性質が似ている印象を強く受けた。
それだけ近しいものを持っていた二人だからこそ、二人は強く惹かれ合ったのかなと思ったし、引き離される二人の運命がより悲しいものに映ってしまう。

純粋さと繊細さは、裏返すととても脆いものだ。
ジュリエットが亡くなったと伝えられた後のロミオの絶望。
そして、ジュリエットの亡骸を目の前にして、もう生きている意味など無いと言って薬を煽るロミオは、純粋さと繊細さを併せ持つが故に自暴自棄になったのがありありと伝わってきた。
「終わりだ…」と歌う場面が、歌うというよりも苦しそうに言葉を吐き出しているように聞こえてきて、麻璃央くんは、歌をセリフとして歌うことが出来る素晴らしい役者なのだと改めて思い知らされた。
喋っているように歌ことは本当に難しい。それが出来る役者はとても稀有な存在だと個人的には思っている。

そんな黒羽ロミオが絶命した後で目を覚ました天翔ジュリエットが、最初は無邪気に「ここを出ましょう」と歌いかけてからの夫が死んでいることに気づいた絶望の落差が悲しかった。
よく似た性質の純粋さを持った二人は、絶望の仕方さえリンクしているように見えた。
そして、クスリを煽ったロミオと同じように、絶望と悲しみに突き動かされるように自分の胸を短剣で貫いたジュリエットもまたその純粋さが際立っていたように思う。


味方ベンヴォ―リオは前田ベンヴォ―リオに比べると、どこかモンタギュー3人組の中では関係は対等だが、弟分的なポジションになるのかなという印象を受けた。
トラブルメーカーのマーキューシオとマイペースなロミオに振り回されながらも間を取り持っているベンヴォ―リオ。
ちょっとだけ割を食う時もあるけど、3人でバカやっている時が楽しくて仕方ないという様子が伝わってきた。
だからこそ、自分たちの身に起こるなんて思ってもみなかったことに次々と見舞われて打ちのめされている様子がありありと伝わってきたし、ジュリエットが亡くなったとロミオに伝えに行かなくてはならない「どうやって伝えよう」の途方に暮れている姿が痛々しかった。
ベンヴォ―リオは決して強いわけでは無く、いたって普通の青年ではないだろうか。
親友たちとバカをやっているのも、仲間たちが復讐だといきり立っているのを必死に止めようとしているのも、親友に恋人の死を知らせに行く役目を自ら追うのも、彼がいたって普通の感覚(観客に近い感覚)を持っているからなのかなと思ってしまった。
味方ベンヴォ―リオに私はとても好感を覚えた。


ライブ配信にはライブ配信の良さがある。
けれど、やはり劇場には配信では決して補うことが出来ない良さがある。

劇場にて空間を共有することの重要性を再認識したのも今回の公演だった。
ラップ音、振動、歌声の響き、舞台全体へ向けることが出来る視点。
どれも客席に座り、五感を解放して感じるものだ。
冒頭のダンサーズの皆さんの迫力あるダンスからそれを体感した。
板を踏み鳴らす音、体を叩く音、相手には絶対に負けないという気概と迫力。
振動が客席に向かって放たれる感覚が心地いい。
そして、客席内を満たすメインキャスト達の歌声が何よりも素晴らしい。
群唱の時などキャスト総出で歌うため、声の厚みがドッとこちら側へ押し寄せてきてただただ圧倒された。(特にロミオとジュリエットが命を落とした後礼拝堂内で両家が歌い上げる「罪びと~エメ~」が帯びる荘厳さが配信の比ではなかった。)
この全身が歌声に満たされている感覚を覚えると、「あぁ…私は今、劇場にいるんだな」と実感するのだ。

ライブ配信では、その瞬間のベストな場所を抜いて見せてくれる。
対して劇場では、自分次第で場面を切り取る場所が変わるし、寄せにも引きにも対応することが出来る。
特に引きの視点は、劇場ならではの鑑賞の仕方だと思っている。
そして、今回この引きの視点で気づいたことがある。
モンタギュー家とキャピュレット家の夫婦仲についてだ。


殺伐としているキャピュレット家に比べると、モンタギュー家のご夫婦仲は比較的良好なのではないのかと思ったのだ。
モンタギュー卿は夫人との距離が近いし、移動する時にそっと腰に手を当ててエスコートをしている。
夫人もそれを嫌がるそぶりはないし、何より一人息子のロミオに対して深い愛情を注いでいる。
片やキャピュレット家の殺伐さはなかなかだ。
冒頭から夫婦仲が冷めている感じが何となく伝わってくる。
極めつけはキャピュレット夫人の「涙の谷」だ。娘に対して夫に愛人がいることを伝えた挙句に、過去の自分の不倫をカミングアウトして、ジュリエットは不倫相手との間に設けた子供だと容赦なく真実を叩きつける。
その上で、「好きな人と結婚したい」という娘に対して「お前も私と同じように涙の谷に暮らすのだ」と呪いの言葉を吐くキャピュレット夫人が恐ろしい。
しかし、後のキャピュレット卿の「娘よ」と照らし合わせていくと、もしかしたらキャピュレット家の夫婦仲は、最初は小さなすれ違いだったのかもしれないと思うようになった。


以下、妄想。
キャピュレット夫人は「涙の谷」で「あたし、綺麗だったの」と言っていた。きっと当時ヴェローナでも1位2位を争う美人で沢山の人から求婚されていたのだろう。
キャピュレット卿もその中の1人で、何とかして美しい彼女を妻にと方々に根回しをしてようやく結婚が決まった。
だけど、その時点でキャピュレット家は財政的に厳しくなり始めていたから、最愛の人に苦労を掛けないようにと仕事や社交に奔走した結果、新妻を一人にする時間が増えてすれ違いが起こってしまったのではないだろうか。
妻と家の為に奔走していたキャピュレット卿は、断じて口が上手い方ではない。
愛情をストレートに伝えることも苦手で、何かあっても「お前は口を出すな」と一蹴してしまう。
そんな夫の態度が横柄に見え、夫人の気持ちはキャピュレット卿から離れてしまい、どんどん夫婦仲は冷めていく。
夫への愛情は育まれることなく、刹那的に愛した人とキャピュレット夫人は想いを遂げる。
子は授かっても、愛する人と一緒になることは出来ない。
夫人にとって、キャピュレット卿はいてもいなくては関係ない存在になり果てたのではないだろうか。
そして、そんな冷え切った夫婦の空気がキャピュレット家全体に広がっていき、どこか廃退として空気がキャピュレット家全体を蝕んでいったのではないだろうか。
(妄想終わり)


ライブ配信を観た時、立石ティボルトはとても繊細に見えた。
生まれながらに定められたモンタギューとの争い。
自分の望みに関係なく大人たちに植え付けられた憎しみの感情。
それに抗いたいのに、思うようにできないもどかしさ。
荒々しいティボルトの内面に垣間見える繊細さが素晴らしかった。

そして、私は今回の感想で黒羽ロミオのことを立石ティボルトと同様に繊細さを持った青年と評した。
モンタギューの跡取りとキャピュレットの跡取りと言う、似たような境遇を持ち、その内面に同じように繊細さを抱える二人の性格がこうも違ってしまったのはどうしてだろう。

答えは両家の空気ではないだろうか。
夫婦仲が良好で、息子への惜しみない愛情を注ぐ両親の元に育ったロミオは、明るく闊達な青年に。
対して、跡取りとして迎え入れられたキャピュレット本家の殺伐とした空気感は、ティボルトをどこか斜に構えた青年へと導いてしまったのではないだろうか。

ロミオよりもティボルトは多くの制約を受けている。
キャピュレット家を継ぐように定められていても、何一つ自分の思うようにことを進めることは出来ない。
家の掟で、いとこ同士の結婚はご法度。けれど、ティボルトにとってジュリエットは、殺伐としたキャピュレット家における、唯一の存在であり、汚れを知らない薔薇の花だった。
そんな自分の唯一の存在さえも掠め取っていくロミオへの憎悪は計り知れないものがあったのだろう。
自分と似たような境遇にありながら、汚れた雰囲気を感じさせないロミオに抱いていた劣等感が、決定的になった瞬間でもあったのだろう。
自分にとって大切なものをロミオが奪ったから、同じ苦しみを相手に味わわせる。
その為にティボルトは真っ先にロミオの命は狙わず、彼の親友の命を奪ったのではないだろうか。
大切なものを奪われた悲しみを、苦しみを思い知れ。そして、絶望のままに殺してやる。
そう思ったからこそ、ティボルトのナイフはロミオではなくマーキューシオを刺したのではないだろうか。
けれど、憎悪の連鎖は憎悪しか生まない。
ジュリエットを奪われたことによって生まれたティボルトの憎悪は、マーキューシオを殺されたというロミオの憎悪によって返されることになる。
この場面で、次はお前の番だと言わんばかりに、ロミオを嬲り殺してやろうと絡みに行った立石ティボルトの表情が最高だったし、間髪入れずにティボルトのことを刺した黒羽ロミオの動きが素晴らしすぎて、憎悪の応酬によるテンポ感が大正解だった。


私は、キャピュレットガールズは基本的に皆ティボルトの女たちと思っているのだが、ティボルトが刺された後、最後まで彼の傍を離れない子がいるのを見て、今この時期に最もティボルトに近い存在だったのは彼女だったのかなと少しだけ妄想を膨らませていた。
勇敢なキャピュレット家のリーダーティボルト。
ジュリエットへの叶わぬ恋のはけ口に、夜ごと女たちをとっかえひっかえしては、虚しい情事に耽っていたのかもしれない。
そして、ティボルトの心に誰かいるのを知った上で、彼女はティボルトのことを受け入れ愛していたのでは? などと考えるとティボルトが刺された後のシーンが余計に辛い。(自分が勝手にした妄想でダメージを受けている)


劇場ならではの体験に、五感を通しての振動や声の響きを先に書いたが、この感想に反する体験を与えてくれたのが、【死】の堀内氏だ。
【死】は、音もなくやってくる。
衣擦れの音一つなく、静か気づいた時には背後に佇んでいる。
その動きは、重力を感じさせない。
どういう体づくりをしたら、そんな身のこなしが出来るようになるのだろう。
1幕の「僕は怖い」でのロミオとのデュエットダンスのシーンが本当に素晴らしかった。
ロミオと死の間で繰り広げられる支配権を奪い合うようなダンスのフォーメーションの数々が美しかった。


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さて、ここからは推しの感想を思う存分語っていく。
何度も言うが今作は、推しのグランドミュージカルデビュー作品である。
キャストが発表された時から、何が何でも劇場でこの記念すべき公演を観劇したいと思い続けてきた。
感染状況を確認しつつ、自分自身もかからない、持ち込まないを徹底して、観劇する日を指折り心待ちにしていた。
ライブ配信を鑑賞した時点で、この作品は、間違いなく素晴らしい作品だということは確信を得ていたのだが、劇場で観劇してみて、改めてこの作品を生で鑑賞することが出来た奇跡に心から感謝したいと思う。


劇場は五感でもって体感する空間だ。
振動が、歌声が様々な圧となって観客の体を包み込む。
特に感動したのが歌声の奥行きを感じることが出来た点だ。

「ティボルト」「本当の俺じゃない」を生で聴けた時点で、胸がいっぱいになっていたのだが、2幕最初の「今日こそその日」の歌声にただただ圧倒された。

ロミオとジュリエットの結婚を知って、タガが外れたように内に秘めた思慕も狂気も全開放するティボルト。
オケの音量なんてものともせずに高らかと歌い上げる立石ティボルトの歌声は、まさしくあの瞬間、会場全体を支配した。
一番最後の「ロミオを見つけ出す どこにいようとも モンタギューの跡取りを この手で送り込むんだ 地獄へ」の「地獄へ」の歌い終わり方の気迫が凄まじくて、聴いている途中で鳥肌が立った。

正直、オケの音をかき消すのでは? と思うくらいの声量で圧倒されたという言葉以外相応しくないと思うほどだ。
何より、立石くんの歌声が劇場内に響き渡っていく様子が肌にヒシヒシと伝わってきて、そして、会場全体もその歌声に圧倒されている様子が感じ取れて、その堂々とした歌声の圧が本当に心地よかった。

この歌声の奥行きだったり広がりというものは、やはり、劇場にいないと体感できないものだ。
この歌声を生で聴けただけで、今日劇場に足を運んだ甲斐があったと本気で思った私がいた。


劇場に足を運ぶもう一つの利点は、好きな時に推しの定点カメラになることができる点があげられるが、配信では追えなかった部分を観ることが出来て幸せだった。
特に、仮面舞踏会のシーンでティボルトがジュリエットを見つめる表情が秀逸だった。
どこにいても愛しい人の姿を目で追ってしまうティボルトが切ない。
階段の上にいるジュリエットを見つめる表情が切なすぎて(マスクをつけているから表情と言うか、目の表情なのだが)、どれだけジュリエットのことが好きなのかが伝わってきて、ロミオとジュリエットの記念すべき出会いのシーンなわけだが、私はずっと切なかった。

パリス伯爵からの求婚を拒絶して、走り去ろうとするジュリエットの両肩を一瞬捉えて、気遣うような、慮るような切ない表情を向けるけれど、ジュリエットには通じず去って行ってしまう。
愛しいものを見つめる表情からの「本当の俺じゃない」の流れが完璧すぎて、そして、辛すぎて号泣だった。

「本当の俺じゃない」で、一度は、ティボルトはナイフから手を離すが、最後にはやっぱりその手にナイフを掴んでしまう。
もうそれは、自分の意思ではどうすることも出来ないものに支配されている表れだし、もがき苦しむティボルトにとって唯一の光がジュリエットなのだと切々に訴える声が悲しすぎる。

推しがティボルトを演じなかったら、ここまでティボルトに肩入れするようなことにはなっていないかもしれないが、ティボルトという人間にのめり込んでいくというか、引き込まれていくのは、一重に立石くんの演技の賜物だと思うのだ。

2幕でのロミオとのシーンは先述の通りだ。
乱闘シーンで割と過激にアクティブにモンタギューの皆をぶちのめしていたので、ティボルトの怒りの度合いが良く伝わってきた。
相手が女だろうが容赦はしないし、男だったら尚のこと容赦なんてしない。
これまで、立石くんが演じてきた役柄にはほとんど見られなかった要素がティボルトにはふんだんにあって、その要素が披露される度に新鮮な驚きが私を襲う。
SNSにアップしてくれるお写真だととても線が細く見えるのに、舞台上では堂々とがっしりした体つきに見えるのはなんでだろう。

今作は、本当に沢山の発見や驚きを与えてくれた。
そして、何よりもまず推しの人生にとって1度きりのグランドミュージカルデビュー作品を、劇場で目の当たりにすることが出来て本当に幸せだった。
堂々とした歌声と佇まいが本当に誇らしくて、この先もきっと沢山のミュージカル作品でその歌声を聴かせてくれるのだろうと確信めいた予感が生まれた。
というか、絶対そうなる。
きっとミュージカル界が立石くんを放っておかない。放っておくわけがない。

カーテンコールの時に、1階席、2階席、3階席とそれぞれ見渡してくれていた姿が印象的だったし、最後緞帳が下りるまでしゃがんで手を振っていてくれたのも立石くんらしくて、どれだけ活躍の場が大きくなっても、変わらず応援したいと思わせてくれる推しに心からの拍手と喝采を贈りたい。


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今日で、大阪公演の幕が下りた。
残すは愛知3公演のみだ。
まずは何よりも無事に全公演日程の幕が下りることを願っている。
本当に素晴らしいカンパニー。最高の舞台をありがとう。
そして、12月に発売される円盤を心待ちにしている。(観劇した7月7日の公演が特典としてダイジェストで収録されることが本当にありがたい。できれば「今日こそその日」がフルで入っていてほしい)
少し欲張りなことを言ってしまうと、CDも合わせて発売してもらえると全力で買いに走る私がいる。

ロミジュリの観劇で貰った沢山のパワーを日々に糧にして、またいつもの日常を注意を払って過ごしていきたいと思う。

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