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Day17【書く習慣】いちばん大切なモノ


いしかわゆきさんの『書く習慣』 #1ヶ月書くチャレンジ。
17日目のお題は「いちばん大切なモノ」

物欲は相当あるのに、物への執着があまりない。(ダメなパターン)
そんなわたしが、もし手放すことになったら泣いてしまうかもしれないものがひとつだけある。
中古で購入した軽自動車である。

かれこれ12年乗り続けているが、まだまだ頑張って走ってくれている可愛くて頼もしい相棒だ。ここ数年は点検のたびにどこかしら不調が見つかって修理代が嵩む。そろそろ買い替えてもいいんだけれど、なんとなく踏み切れずにいる。

少し父の話をしたい。

自営で工場を経営していた父は、年齢とともにキツくなってきたことと、弟ふたりが家業を継がなかったことで、工場を畳んだ。機械やフォークリフトやトラック、土地建物を手放し、全ての手続きが終わると、父は家で静かに過ごすようになった。母もわたしも働きに出ていたから昼間はひとり。
ずっと仕事人間だった父は、特に趣味にのめり込むといった風でもなく、ずっと新聞や雑誌、書籍を読んで過ごしていた。

わたしが夫と暮らし始めて家を出ると、ときどき父から電話が掛かってきた。
母のいない昼間、ちょっと買い物に行きたいから車で連れて行って欲しい、という依頼だ。
ほんの僅かなひととき、父とのドライブ。
無口な父は殆ど口を開かなかったが、運転席の斜め後ろの席で、いつも機嫌よさそうに座っていた。

わたしと夫が婚姻届を提出して1ヶ月後、父に癌が見つかった。末期ですでに転移もしており、余命は1ヶ月だと言われた。
何故気付かなかったのか、わたしはかなり自分を責めた。
父は我慢強くて、絶対に弱音を吐いたりしない人だった。釘が足を貫通しても「穴が開いとるけど見る?」とか冗談を言うタイプだ。
祖母が癌で他界していたし、父のことももっと気に掛けてあげるべきだった。
その頃わたしは、インフルエンザの咳が長引き過ぎて、肋骨にヒビが入っていた。病院で泣いてしまったわたしに、父は「自分の心配をしなさい」と言った。肋骨のヒビなんてほっときゃ治るのに。

父が病床でボソッと呟いたささやかな願いを叶えるため、バラバラに暮らしていたわたしたち家族は団結した。

親しい友人に、直接会ってお別れを言いたい。

学生時代を東京で過ごした父の友人は、殆どが都内在住。
担当の先生に頼み込んでなんとか1泊2日の外出許可を貰い、車椅子が載せられるワンボックスカーをレンタルして最後の家族旅行に。

集まってくださったお友達と食事をして盛り上がった。そのときに撮った写真が遺影になったが、父は本当に楽しそうに笑っている。

父の遺品の定期入れの中には、わたしの成人式のときに作ったテレホンカード(写真を撮るとサービスで作ってもらえた)が未使用のまま入っていた。
それを見て、また泣いた。

父にべったりではなかったけれど、やっぱり父が大好きだった。今でも、父の作業服と同じ匂いがすると鼻の奥がツンとなる。

父を乗せた思い出のある車、やはりすぐには手放せそうにない。今でもルームミラー越しに父の姿が見えるような気がするのだ。

最近、母が職場でキーケースを無くした。家と車の鍵が付いているので、無いと帰れない。必死で探したが見つからず、わたしが迎えに行きその日は合鍵で凌いだ。
母を自宅へ送った帰り、わたしは父にお願いした。
「お母さんの鍵、見つけてあげて」
返事は聞こえないけれど、なぜか絶対に見つかるという自信があった。
翌日、なんと母から鍵が見つかったとLINEが来た。
父、やっぱりわたしの車に乗ってるんじゃないだろうか。

お父さんありがとね。


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