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本当に必要なものってなんだ?
本気で自問したことあるだろうか。本当に必要なものってなんだ?と。命だとか家族だとかそういうモノではなく、物質的な"物"ですら、何が本当に必要か、なんて明確にわかってはいないのだ。明日のことだってわからないし、未来のことなんてもっとわからないのだから、これから先、必要な物なんてわからない。そんな言い訳だって生まれてきそうだ。
だったら今、必要だと思う物だけ持てばいい。
ちょうど、子供が小学校に入学した時、「学校に行くと工作でペットボトルが要るだとか、○○が必要だとかあるんだろうな」と思っていた。私は当時働いていて、帰宅は18時頃だった。夜に帰宅してバタバタと夕食の準備をしているときに、子供に「明日○○が必要だ」なんて言われたって用意できないから困るだろう。サランラップの芯、ペットボトル、空き箱…なんとなく、工作に使うものはとっておいたほうがいいのだろうか……?こんな疑問が浮かんだ。結果的に、息子は小学校5年生になるが、とっておいた方がよかったものなんて、何もなかった。
サランラップの芯は"家にある人"だけが持っていけばよかった。ペットボトルが必要な時は、自販機にペットボトル飲料を買いに行けば良かった。空き箱は少なくとも2週間くらい前にプリントで「用意しておいてください」と連絡があった。
結局、必要かも、と思ったとて、本当に必要な時にはなんとかなるものだ。本当に必要なものは、「今」必要だと思う物だけで充分なのだ。結局のところ、「今」必要だと思う物だけあれば暮らせる。必要な物が変化する時というのは、季節の変化や環境の変化がなければ、早々ないのではなかろうか。
財布(お金・身分証)、iPhone(スマホ)、手帳(紙)、家の鍵、自転車(鍵)、服、下着、メガネ、コンタクトレンズ、靴下、タオル、靴、PC、ボールペン、トイレットペーパー、食器、箸、食料、調理するツール、布団、マスク、石鹸、シャンプー。
最低限の衣食住。つきつめて考えると、私の場合これくらいだった。
勿論、ここには曖昧なものがたくさんある。服だって下着だって靴下だって1ではないし、調理するツールだってフライパンもあるし鍋もある。食器にはコップもある。まずはこれらに目を瞑ったとしても、上記に書いたもの以外の物が、家中にたくさんある。
そして一方で、財布だって別に絶対必要ではない。手帳だって別に絶対必要なわけでもない。自転車だって別に必須ではない。生きるか死ぬかというフィルターで考えたら、「今」必要だと思っていた物でさえ、なくても何とかなるのではないか、とさえ思えてくる。
我が家には何冊かの本がある。我が家には観葉植物がある。我が家には子供たちの絵が飾ってある。すべて「今」必要なものではないが、どれも私に幸福感をもたらしてくれる。
1つ1つの物を眺めてみて、それは一体自分にとって、どういうものなのか、問いかけてみたい。「必要そうなもの」なんていう曖昧な言葉が浮かんだら、ちょっと疑ってみてもいいのかもしれない。結構、そういったことをやっていると、感覚も研ぎ澄まされてきたりするもんだ。
今日の独り言
その「物」は、どんな感情をもたらしてくれているだろうか。
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