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あなたと私と、エヴァンゲリオン

 たまたまスカイツリーに行ったらエヴァンゲリオン トウキョウスカイツリー計画最終日だと知った。なんだそれは、と思ったが、まさかこんな場所でエヴァに出逢えるとは、と心躍らせて写真を撮った。今日はエヴァンゲリオンの話(ネタバレは多分ありません)。

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 私が最初にエヴァンゲリオンを知ったのは、大体碇シンジと同じ歳だった時。ちょうど深夜の時間帯にTV版が放送されていて、知った。ミサトさんの「サービスサービスぅ」にちょっと大人な印象を受け、意味が分からない!とテレビ版の最終回に悲鳴を上げ、なんだか意味がわからないまま、私は目まぶるしい青春期を過ごした。

 言うまでもなく、25年という長い月日を経て、1つの作品が片隅に存在していたことなんてなかったし、そんな月日を経て作品が収束する、という経験、さらにそれが青春期(主人公と同じ歳を経る)というのは、一生に一度の経験ではなかろうか。

 私は、そこまでエヴァンゲリオンに熱い情熱を持っていた記憶はなかったのだけれども、中田敦彦氏(私は中田あっちゃんと呼んでいる)のYoutubeを見ては、「わかる!わかるよぉぉぉ!」と脳内で激しく共感していた。記憶をさかのぼると、私はエヴァ初号機のTシャツを清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入していた(当時の私からすると大金である)。どうやら、結構思い入れは強かったのかもしれない。

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を夫と一緒に見に行ったのだが、涙が止まらなかった。上映後も、映画での言葉の意味、いろんな背景をそのあと調べて何度も何度も脳内で堪能した。一方で、夫は映画の途中で寝ていたらしい。(彼は、同じ時代をエヴァと共に過ごしておらず、数年前に劇場版から一気にエヴァを鑑賞したくらいである。)

 夫とは言葉を交わしても、心は遠く遠く嚙み合いもしない。それがわかったのでエヴァについて敢えて話をせず、私はこうして文章で細々とエヴァへの愛を綴っている。

 作品への愛情というのは、なかなか難しいものだ。私は友人のようにエヴァのイベントを軒並みチェックするようなことはなかったし、エヴァストアで商品を購入するような事もしない(Tシャツは昔買ったけど!)。けれど、やっぱりこの作品への愛情は、私が自覚している以上に深かったようだ。

 25年の歳月がそうさせたのかはわからない。

 けれど、映画が終わって、私の中で何か音がしたのは、多分気のせいではないと思う。

今日の独り言

終劇。過ごした日々は、記憶の中で。


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