August D 어땠을까( Dear my friend )を聴いて ユンギに音楽があってよかった
花粉症がひどい。
鼻水とくしゃみで昨日はなかなか寝付けなかった。
夜、August Dの어땠을까( Dear my friend )を聴いて、意味を少しずつ調べるのが好きだ。この曲はユンギの唯一の友人がおそらく薬物を使用して、ソウル拘置所に拘置されてしまった過去についての曲だ。
この歌詞を見ていて、歌を聴いていて、ユンギという人はどういう人なんだろう、と考えていた。
Wikipediaによると、過去に対人恐怖症、鬱病、強迫症を患ったことがあり、今は完治しているらしい。
私の病気とは違うので、詳しくは分からないが、きっと元々神経の細かい人なのだろうなと思う。今は完治しているとのことなので、それを乗り越えた強さも感じる。
ユンギのときに哲学的な言葉を聞くと、その精神面の成熟度、強さを感じる。
Dear my friendには、
아직도 여전히 今も相変わらず
니가 난 그립고 또 그립네 俺はお前が懐かしくて また懐かしい
という歌詞(サビ)が何度も登場する。
この歌詞を見た時、甘えん坊で愛情深い幼いユンギ君を朧げに想像した。
「懐かしくて、また懐かしい。」
なんて愛情を感じる言葉だろう。
それに、そんな唯一無二の友人が薬物使用で捕まったときの気持ちを想像する。
そのショックは想像を絶する。
感受性豊かで、心が細やかなユンギにはどんなに衝撃だっただろう。
어쩌면 그때 널 잡았다면 もしかするとあの時お前を捕まえたなら
아니 그때 너를 막았다면 いや、あの時 お前を食い止めたなら
ユンギは悔やんでいるのだ。
自分の行動が少しでも違っていたら、今も友達だったかもしれない。
今、全く別の道を歩いている友達は、一緒の道を歩いていたかもしれない。
自分の行動さえ違っていたら。
その悔いを、この曲に込めて歌っているんだろう。
この曲の効果音に、幼い子供の無邪気な声が使われているが、
聞くと胸が痛む。
ユンギの幼いときのあどけなさと、こういうことの起こってしまった人生の厳しさが対比となって示されていて、胸が痛くなってしまう。
幼いときのあどけない友情を、ユンギが大事にしていたからこそ、
彼の胸の苦しさはどれだけのものだろう。
この出来事から、ユンギは多分完全には立ち直れていないだろう、と想像する。
でも、私は思う。ユンギに音楽があってよかった。
ユンギは、この出来事を歌にすることで、立ち直ろうとしたのだろう。
多分、胸の内を曝け出すことで、乗り越えようとしたのだろう。
もしくは、どうしようもない気持ちを、作曲にぶつけたのだろう。
「忘れよう」としたのではない。歌詞にもそういうフレーズは出てこない。
むしろ忘れられないんだろう。
ユンギはその友達のことが今も懐かしくて、憎くて、でもやっぱり懐かしいのだ。
ユンギの中に友達との思い出は、ずっとぐるぐるしながらとどまり続けているんだろう。
立ち直れないとしても。
忘れられないとしても。
ずっと記憶がとどまっているとしても。
ただ、「そうだ」ということを歌に示すことができたから、
きっとユンギは救われたのだ。
だから、ユンギに音楽があって良かった。
神様、ユンギに音楽を与えてくれてありがとう。
(最後に)
Dear my friendは全部、訳せたら載せたいと思います。
そのためにも、韓国語の文法も勉強したいと思います。動詞が難しい。。
他の方も書かれていたが、そして私も前に言及しましたが、
ジンとナムさんのスクラッチアートの動画で「アジクト ヨジョニー♪」
と歌っていた歌がこの「Dear my friend」です。
こんな深刻な内容の歌を、あんなに軽いタッチで「イジって」いた二人の暢気さに本当、笑ってしまうのだけど。
内容分かっていじってるのかなー。
あんまり真面目に聴いてないのかな。どっちなんだろう。
あの動画と「半地下の家族」の影響で相変わらずチャジャンミョンにハマっていて、タリョラバンタンでチャジャンミョンには(豆でなく)目玉焼きを乗せたらいいのか!ということが分かり、今度試そうと思っているところです。
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