私が二十歳になってすぐのある日。 父と二人で呑みに行った。 1軒目は当時大学生だった私が先輩に連れられて行ったカジュアルな居酒屋。洒落たカタカナの名前の甘ったるいお酒やら、カジュアルなおつまみ なんかを父は珍しがりながら、くだらない話をした。 2件目は狭い路地の奥にあった、小汚い、狭い間口のスナック。 父が若い頃に職場の先輩に連れていかれて以降、通っている店だと。 ドアを開けるとカウンターだけの狭い狭い店。 「あら、今日は若いお嬢さん…」と、年齢がよくわからない、厚化粧で
私には息子がひとりいる。 早いもので18歳、この春から大学生になった。 地域の学校ではなく、中学受験を経て上に大学がない中高一貫校に入った。 そのため、中学入学時から「大学入試」を否応なく意識させられ続けた。 息子自身は某国立大に憧れるようになり、憧れに手が届くように受験勉強に励んだ。 だが、憧れは憧れのまま終わってしまった。 ただ、「もし国立がダメだったら学科不問でココがいいな」と言っていた私立大からも合格をいただけた。 親としては「そしたら私大に進学やね」と心づもり
若い頃、京都⇔広島で遠距離恋愛をしていた。 ちょうど学生から社会人になったあたりのころ。 彼はどこまでも私に優しくて、誠実だった。 だからだろうか、彼はあまり約束をしなかった。 「あなたには嘘をつきたくない。些細なことで終わりたくないから」と。 アフォな私は、そんな大げさな、などと思っていたけど。 自然な流れで互いに将来を意識し始めたけれど、 学生から社会人へと人生でも大きなターニングポイントにふたりともいて、 どんどん消耗し、疲弊していった。 会いたいときに会えない。声を
登録していくつか挙げていたものの、放置していたnote。 ちょっと引っ張り出して書き散らかすことにする。 とりあえずもう少しこまめに続けたい。
別れた恋人は全員不幸であれー!と割と本気で思ってます。 少なくとも私より。 男の人はその点優しいと思う。 夫なんかは遠い目をしながら「どこかで幸せだったら…」みたいに言うけど、正直、意味わからない。 正直、我ながら「因果応報っていうし、自分に返ってくるぞ」とも思うし、こういう話題になる度に「ゆみこは器がちっちぇえなぁ」と言われ続けているのですが、気にしない(しろよ)。 彼らのお陰で成長できた部分はあるし感謝もするけど、だからといって幸せを祈れるほどのキャパがある人間でもな
小さい頃、私は学校は好きだったけれど、どうにも納得できない場所だった。というか、先生という存在がどうにも理解できなかったし、好きになれなかった。 たまたま同じ地域に、たまたま同じ時期に生まれて暮らしているだけで同じ学年とされ、先生が適当(でもないだろうけど)に分けたクラスに入れられ、そこで「団結」とか言われる。用意された場での団結ってなんだ。 先生だってたまたまその時にその学校に籍を置き、たまたま受け持つことになっただけなのに、なぜにそこまで高圧的で支配的なんだろう。 もっ
コロナ禍の2020,通信制である放送大学に入学した。 20ン年ぶり2度目の大学生だ。 母校に通信制大学があり、卒業したらまた大学に入り直したいな、とは在学当時から考えていた。でも、日々の暮らしに流されるうちに気づけば40代になった。それはそれで悪いことはないし、流されながも自分で選択した道だから後悔はないが、これでいいのかな、とふっとそんな思いが頭に浮かんだ時、自然の流れとして「大学で学び直そう」と思った。 子どもの存在も大きかったと思う。 大学時代に教職をとっていたこと
かつてブログをやっていたけれど、ちょっと思うところがあり、久しぶりに自分の心のあれこれをたれながしたいと思う。 日常は淡々と、時に退屈なものだけれど、実は意外と忘れるには惜しい出来事の連続で。今心の中にある、或いは頭の中にくすぶっているものは決して楽しいものじゃなくても、忘れてしまうには惜しい。そんなことを自分なりにつづっていければ、と思う。