カウンターにならんで。
私が二十歳になってすぐのある日。
父と二人で呑みに行った。
1軒目は当時大学生だった私が先輩に連れられて行ったカジュアルな居酒屋。洒落たカタカナの名前の甘ったるいお酒やら、カジュアルなおつまみ
なんかを父は珍しがりながら、くだらない話をした。
2件目は狭い路地の奥にあった、小汚い、狭い間口のスナック。
父が若い頃に職場の先輩に連れていかれて以降、通っている店だと。
ドアを開けるとカウンターだけの狭い狭い店。
「あら、今日は若いお嬢さん…」と、年齢がよくわからない、厚化粧で顔が異様に真っ白いババア…もといママさんが意地悪く笑いつつ声をかけた。
既にいる客に「ほら、詰めな」といい、父とカウンターに並んで座った。
「ああ、娘なんだ」と父が恥ずかしそうに言うと、ママさんはぱああああと
明るい顔になり、「あら、娘さん!?よく話に出る?まあ、うれしい!ほら、座って座って!」とカウンターの中からママさんは声をかけた。父はどんなことをここで話しているのか。多分ろくなこと言ってないだろう。
ママさんが一人で切り盛りしている店だと父が教えてくれた。
狭くて古い店だけど、掃除がいきとどいていて、ママさん手作りのおそうざいがカウンターに並んでいた。
「父はよく来るんですか?」とママさんに尋ねると、「本当はもっともっと来てほしいんだけどねー。お母さんに小遣いあげてあげてってお願いしてほしいくらい」と茶目っ気たっぷりで笑った。
ツケで呑んで、給料日頃になると職場に請求書が送られてきて、ツケを払いがてら店に行くのが基本の流れらしい。職場から近いわけではないけど、呑み屋街にあるから、お付き合いの呑み会などの後に立ち寄ることが多いらしい。
もっと若くて美人なママがやっているような店じゃなく、おばちゃん…というか、ババアがやってる店かよ、と内心は思いつつ、よく喋りつつ、店内のお客さんに目を配り、切り盛りしている姿は好印象だった。
父が入れていたボトルが残り少なかったので、新しいボトルを下していた。
というか、こういうのって高いんだろうな、と思いつつ、一連の流れを見ていた。なんか落書きしていいよ、とママが言ってくれたので、らくがきではなく母と一緒に撮ったプリクラシールを貼っておいた。
「ああ、酒がまずくなるなぁ」なんて父は笑ってたけど、
「いやぁ、呑みすぎないようにのおまじないになるんじゃない?」とママさんは笑った。
さらっと呑んで「ほな、お母さん待ってるし帰ろうか」と父が席を立ち、私も立ち上がった。ママさんが「よかったら、お嬢ちゃんお友達連れておいで。お父さん抜きで。ボトル勝手に呑んでいいから」と勝手なことを言いつつ、見送ってくれた。「お父さん、素敵なネクタイしてる時はあなたが選んだものだ、といつも嬉しそうに話してるよ。おばちゃんもどんなお嬢さんかずっと気になってたの。今日は来てくれてうれしかったよ」と父に聞こえないように小声で声をかけてくれた。厚化粧のママさんは間近で見るとちょっと怖かった。
その日のお会計はボトルを入れたにもかかわらず、異様に安かったと後日父が言っていた。「多分ママ、負けてくれたんや。いつもぼったくってばかりなのに」と父は笑っていた。その後、私が結婚するまでの間、何度か連れて行ってもらったが、ママさんは父が新しいボトルを入れるたびにあの日プリクラを丁寧に剥がして貼り直してくれていたそうだ。
父が退職するのとほぼ同時期にママさんは店を閉めた。
女手ひとつで育て上げた娘さんがいらしたらしいが、ママさんの意思であとは継がせなかったらしい。店に連れて行ってくれた父も亡くなったし、多分、とうの昔のママさんも亡くなっていると思う。何より店があった場所も、屋号でさえも今となっては思い出せない。
でも、大して気の利いた話もしないものの、普段とは違う父の姿が垣間見られたのは今も覚えている。
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