メッシュワークの学び#13(番外編)

3期生のオープニングにオブザーブで参加。
大変貴重な「覗き見」である。

1期生として参加して2年。
あれから「人類学の目をインストールする」は、ボディブローのように今も下腹部をポンポン叩いてくる。

即決即断。そんなビジネスの日常に「待てよ」をくれる、この「待て」という「われめ」に立ち会える瞬間が増えた。「われめ」と言えば寺田虎彦氏が『自然界の縞模様』でこういう文面をネットで見つけた。

裂罅(れっか)、あるいは「われめ」の生成は皺襞(しゅうへき)と対立さるべきものでやはり一種の不安定によって定まるものであろうが、このほうの研究はまだきわめて進捗していない。

寺田虎彦『自然界の縞模様』

多分あれからも、そんなに進んでいない。進んでいないどころか、タイパ・コスパの繁栄もあって、そんな半端なことでは叱られるわけである。違うんだ、物事はゆっくりと流れ、その過程の変遷に魅力があると、「われめ」の魅力を語ったとしても、このご時世である。「われめ」の良さを伝えたところで「みっともない、早く閉じなさい」の世界である。

今夜もなぜか(なぜかと言いながら確信犯だが)メッシュワークを宣伝することになっている。私は文芸を語る予定だったが、人類学も語ることになった。このイベントを企画したのは私だが、草葉の陰からビデオ撮影でもしようと思っていたら、人類学を語るはずのメンバーが急遽これなくなり、私が登壇することになった。いみじくも1期生の「同僚」、彼の素晴らしい視座とユニークな体験と私とを比肩するのもおこがましい話だが、やるしかない。これもひとつの「われめ」であり、インストールされた人類学の目がそこに何を観るか、自分でも楽しみで既に足が震えている。


これが「今夜」のイベント。ここでメッシュワークを紹介する予定。

さて話を戻しまして、3期生の初回(8月17日)である。あれだけ比嘉さんに「すぐメモを取る事」の大切さを教えられたのに、「そうしないと何だったっけ、ってなりますから」と言われていたのに、定石通り「何だったっけ」である。

思い出しながら、出来事でなく感覚をざーっと書いてみた。

・皆さん、主体の解像度がくっきりしていて驚いた。
・既にもう「始まっている」空気があった。1期生の時は中盤でやっと「始まった」気がする。

…いかん。ここまでしか出てこない。
そうか、やっぱり書きながら入らないとダメだな。

・合宿やるんだ、いいなあ。
・若いのに偉いなあ。

…何だこのおっさん満載の感想文は。
人類学の目はどこにいった。

・次回10月こそ、書きながらやろう。出直しだ。

仕方ない。今日はこのくらいにしておいてやる。


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