見出し画像

(Re:)年を取ると解像度は上がるが、視力が落ちる。

アンサー記事です。

解像度、昔は画面スペックの話でしたよね。PC98は640×400だけどFM TOWNSは640×480、みたいな奴。昔どころか十年一昔換算なら三昔以上ですけど。

そういえば640×480はVGAとも呼ばれます。数年前にカナダ人エンジニアから、海の向こうにはVGAこそが聖なる解像度であるから、正しいOSはそれ意外の解像度に対応すべきではない、という宗教があると聞きました。本当かどうかはわかりません。sacred resolutionなら堅固な決心ぐらいの意味な気もします。なんとなく聖闘士の技にもありそうです。単純な英単語を並べた技名ってことはきっと黄金聖闘士ですね。神近似の仏と仏になりかけ(に見えていた)老人と節足動物が乗ってこない法則なので単なる偏見ですけど。

時代は下って少し前はAppleがやたらとスマホやタブレットの解像度をアピールしていた記憶があります。網膜レベルの解像度って奴です。Retina。ギリシアローマ神話の女神にありそうな名前……でもないか。レティナの聖闘士。

昔の漫画は視力を奪われることで能力が覚醒しがちでしたね。神もどきの仏は鳳凰の五感を奪ってましたし、仏もどきの老人の弟子はがっつり視力を失って目覚めてました。

解像度の話に戻ります。私なんかはついディスプレイのスペックだと思ってしまいますが、印刷業界の怖い人達がいつ刺してくるかわかったものではないという危機感があるので無闇に語れない、というイメージもまた持っています。かつてのインターネットには、dpiの話を理解してないWeb屋に対する呪詛の言葉に溢れていました。それ自体Webなのに。

だから、よく分からないけど解像度は高い方が良い、みたいな雑な立ち場からの語りにはちょっとドキドキしちゃうんですよね。「僕は良いけどさー」という典型的な老害トークテンプレなわけですが。ディスプレイの方でも解像度高くしちゃうと字が小さいですよね。画面サイズはたいてい固定なので。そうすると、老眼にはつらい。見えないのではなく、つらい。これは若い頃にはよくわかってなかった。なんとなく近い場所にある活字はぼやけて見えるんだと思っていたんですが、実際には「痛い」に近い「つらい」がある様に思います。まあ、これすらあくまで過渡期であって、老眼道にはさらに先がある可能性もあるので老害界のニュービーが偉そうなことを言うべきではないかもしれないですけど。

最近よく言われるような「理解の解像度を高める」みたいな言い回し、多分初代PSからPS5に至るCGの進化(ポリゴン数を言いたくなる気持ちと、そこを単純化したくない気持ちに引き裂かれそうです)みたいなイメージなんでしょうね。ディテールが加わることと、実体感が増すということの(相互に関係はしてますけど)両方を含意している様にも思えます。しかし、あえて好意的に解釈すると、「理解」などが対象物になっている場合は「そこから読み取れる(汲み取れる)情報が多い」という意味であるとも言えそうです。つまり、解像度が高いことそのものに価値があるというよりも、その先がある。

でも、その先、つまりある事柄に対する理解が深まり(≒解像度が高まり)、それ故に新しい発想なり思考に繋がる、ということだとすると、それはつまり応用が効くってことだと言い換えることができてしまいそうです。しかし、応用を効かせるのって抽象化が出来てるってことでもあると思うので、ここで実体感とか具体性とは話がずれてきてしまう。やっぱり「解像度」っていう言葉はあまりうまくないんじゃないか、って気持ちになってきますね。ああ、目が疲れてきた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?