「皆、繋がっている」という視点

以前、【欲しいものの先取り 1】を書いたとき、なんとなく分かってきた気がしてたんですねー💦 
肝なるところが分かった気がする、と書いています(^^ゞ
そんなことを書いておきながら、最近は、また、気持ちが揺らいで、何やってるんだ自分❣と突っ込み入れたくなる日もありました^o^;

というのは、娘からちょっとキツイ(と私が感じた)言葉を投げられ、頭に来て、その場に居られなくなり、泣きながら外を歩いたりした日があったんです💦 幸いにも夕方でしたし、マスクもしているので、通りで私が泣いていることを知られるといった心配はありませんでした。

夕暮れの川べりで、暗い向こう岸や川の流れをぼーと見ながら、何が起こったのか反芻していました。

娘は、私を傷つけようとか、怒らせようといつつもりは無かったと感じています。それだけに、何でそこまで気持ちが揺さぶられたのか考えていました。

結論を言うと、
私自身が、自分を責めたり、このままではイケナイという気持ちがあるのではないか、と気付きました。
それが、娘の口を通して、私に降りかかってきた。

これは、一般的には通用しない話かと思います。
もし、誰かに注意されたのなら、その誰かが私に対してそう感じているから注意したのでしょう、と。

その、誰かが感じたその思い、それは、わたしの内側にもある感覚なのではないか、という推論...みんなは繋がっているから、誰かが私に言うことは、私が自分に言いたい事、なのではないか、という考え方。

なぜ、このような考え方を取り入れているかと言いますと、
私は、臨死体験者さん達のお話しを聞くのが大好きなのです。また、エネルギーに敏感な方々からも物の見方を学んでいます。すると、自分の内側の世界(観)が、外側に現れると、多くの方が仰るのです。そして、それは、まんざらトンチンカンなでたらめではないと私は感じます。

実際、この日も、私は、外を歩いて、
責めていたのは実は自分だったのだな、という考えに行きつき、
どんな自分も少なくとも私だけは受け止めてつきあうぞ!っと、自分に対する愛を強め、
必要な買い物を済ませて帰宅すると、

娘も何事も無かったかのように、けろっとしていました。

喧嘩にも口論にもならず、
私は、自分の気持ちが整理できたので、良かったです^^

今日もありがとうございます✨


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