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10月20日−26日 根室・釧路・東京

*あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている日々の記録を7日分ずつ更新しています。初月は無料です。

10月20日

 夜が明けて、明るい根室を初めて目にする。道路の標識にはロシア語が入っているところがちょいちょいある。北方領土返還を求める看板がいたるところに掲げられている。ここまで来てみて、初めて北方領土の近さを思い知る。「海の向こうに見えるよ」と言われていたけれど、自分の目で見るとやっぱり違う。

 私たちが生まれる前、国境というものが変わるということが今よりよっぽど頻繁にあったのだ、ということに思い当たる。昔、日本の領土だった4つの島が、今は日本の領土ではない。けれどもっと遡れば、北海道はアイヌの土地だったのだ。北方領土にはロシア人も、アイヌもいた。国境とは不思議なものだ。そのときに権力の座にいた人たちが引いたものなのだ。

 朝から、mameのインスピレーションを探して、根室の作り手さんを訪ねた。案内してくれたのは、ジュエリーデザイナーで、8年前に根室に移住したという古川広道さん。古川さんは、何のゆかりもなかった根室に8年ほど前に引っ越してきたという。震災を受けて、東京の暮らしに疑問を持ち、移転先を探しているときに、釣りのためにやってきた根室の「ぬけ感」に惚れて、すぐに移住を決めたという。引っ越してきたばかりの頃は、地元の人たちと仲良くなるために毎晩外食し、スナックに通って、少しずつ信頼を得てきたという。ずっとここにいる作り手さんに信頼されていることがよくわかった。

 午後は、根室が雨予報だったので、斜里に行くことになった。北のアルプ美術館に行こうということになっていたのだ。初めてだと思っていたのだが、美術館に入った瞬間、既視感を覚えた。確かに2年ほど前、mameが「流氷を見に行こう」と言い出したのに乗って斜里にやってきたことはあるのだが、そのときは時間がなくてアルプには来なかった、とmameも言っている。いつ来たのだろうか。本当に来たのだろうか。最初の既視感はたしかにあったけれど、見た覚えのないものもたくさんある。謎である。

 串田孫一さんの書斎をガラス越しになめるようにみた。人の仕事場が教えてくれることはたくさんある。生涯の間にアルプだけでなく、おびただしい数の本を出したという人の書斎は、書くことが本当に好きだった人のそれだった。私はそういうタイプの書き手ではない。羨望しかない。

 壁に貼ってあった、週刊文春の「家の履歴書」のコピーを読む。子供の頃、友達が「あの人はアカだ」というのを聞いて、それを父に伝えたときに、父上がむっとして「オレだってアカだ」と言ったというエピソードがあった。

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