野望はあったほうがいい
常々、自分に決定的に足りないと感じているものがある。野望というものだ。野望、と書いてみて、ん? ちょっと違うかも、と思った。私に足りないのは、もしかしたら野望というほど大きいものではないのかもしれない。まあ、つまりは「もっと!」と思う気持ちである。
そして、それをなんとかしろと言われてるのだろうか、と思うことが立て続けにあった。それも3つも。
ひとつめ。何ヶ月か前に、ニューヨークで#まじファナ のイベントをしないか?というオファーが、友人のデイビッドと雄大くんからあった。二人は、ローワーイーストサイドで最近複合スペースをオープンし、私のまわりのアーティストや作り手がショーをやったりしている。願ってもない話なので、イベントをやろう、ということは決めた。問題は内容である。雄大くんは、私が日本でやっているトークのようなものを期待している。けれど、それをニューヨークでやるとなると、また条件が違ってくる。そもそも、日本向けに書いた作品なのに、ニューヨークでどんなトークをやればいいのだろうか。と、考えながら先送りしてしまい、そのくせに、時間がない、と焦り始めた。そういうとき、安易なほうに走りそうになるのが、私である。「ポップアップ本屋で良いんじゃん?」などと楽をしようとした。二人はどうしてもトークがやりたいという。とはいっても、ニューヨークの人はそんなに知らないしなあ、どうやってアプローチしようなどと、私がグズグズしている間に、デイビッドが、パネリストを二人用意してくれた。アクティビストと植物療法サロンのオーナー。願ってもいない組み合わせになり、トークは大成功だった。途中、「ほんとに私はだめ人間だ」という気持ちになった。いつも誰かが背中を押してくれるのを待っている。
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