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cakesの人生相談による加害事件を受けてnoteを使い続けるべきかどうかを考えた


cakesの人生相談の件を受けて、同じ会社(ピース・オブ・ケイク)のプラットフォーム、noteで文章を書き、お金を頂いている人間として、何ができるのか、自分なりに考えてみました。

元の回答原稿の有料部分は読んでいませんが、なぜダメだったのか、ということについては、たくさんの方がすでに様々な角度から指摘しているので、付け加えるべきことはないように思います。ただひとつはっきり書いておきたいのは、この問題の本質は、これを読んだ私たちの「不快感」ではありません。問題は、回答者による相談者への加害行為が起きたということなのです。どす黒い悪意と、それに似合わない自覚の欠如に、過去のトラウマがトリガーされた人は少なくないでしょう。おまけに執筆者は当初、自分の加害性にまったく無自覚なまなこれをツイートしていましたから、著名人を含む多くのこれに乗っかって二次加害を繰り返す結果になったことは、見た人も多いと思います。

(小川たまかさんのポストに、被害者の話を矮小化したり、嘘つき扱いしてきた社会の変遷が書かれていて、なぜ多くの被害者が「信じてもらえない」と思うのか、よくわかります)


DVという細心のケアが必要な問題について、適格性や資質を持たない人がここでしたことは、この社会の中のたくさんの場所で、日々、なされている行為でしょう。さらに問題なのは、それが、いまや日本でも有数のプラットフォーム・カンパニーであるピース・オブ・ケイクが編集部機能を持つcakesにおいて起きたということです。企業が、個人の加害行為が行われることを知りながら、止めることをせずに、結果的に加担したわけですから、なぜこの相談への回答を掲載して良いと判断したのか、責任を問われてしかるべきです。

noteはプラットフォームであり、cakesは同社が運営するメディアですし、実際には規約も違うので、一緒くたにすることに異論のある人もいるでしょう。けれどもnoteで書き手が課金するお金の一部は、会社の売上になるわけですから、noteを使うのをやめようという書き手が出てくることは当然のことで、自分自身も、ここで文章を発表し続けていいものかを再検討せざるをえません。

私は今、noteでマガジンをふたつやっています。去年から頻繁にポストをするようになり、コロナウィルスがやってきて動き回る仕事ができなくなってからも、有料コンテンツにお金を払ってくださる読者のみなさんのおかげで、出版社を通さずに、文章を売ることができています。

noteでマガジンを始める前、社長の加藤貞顕さんに会いに行って、使い方を伝授してもらいました。トークイベントに呼んでもらったこともあります。イベント後には、同じ1973年生まれの加藤さんと夜遅くまで話し込み、停滞気味だったメディア業界に新しい風が吹いているのだとの手応えも得ましたし、仲間意識のような気持ちも芽生えました。打ち上げの席でピース・オブ・ケイクの女性スタッフの方々と、社会の中における女性の居場所や葛藤についておしゃべりをする機会にも恵まれ、POC社に対する印象はいたってポジティブなものでした。おまけに、自由に書くことができ、課金が可能なnoteを重宝してきました。何より、これまで、他のプラットフォームでは出会えなかったであろう、新しい読者の方たちに出会えたことが、最大の収穫でした。

2年ほど前(確認)、当時、幻冬舎プラスでやっていた「みんなウェルカム」という連載を引き上げる決断をしました。その思いを書く場に選んだのもnoteでした。

(余談ですが、このとき「みんなウェルカム」の続きを「cakesでどうですか?」とお声をおかけいただき、そのときにも同社を訪問して、レクチャーを受けました。あいにく、別の本に取り掛かってしまい、また時代の流れを見て、もう一度仕切り直して書き直したいと思ったこともあり、いまだに「みんなウェルカム」は、そのままになっていて、結局cakesは使っていません)

今回のことに、そのときの騒ぎを思い出しました。そして、今、再び、「自分はnoteで文章を書き続けていいのか」を悩むことになったのです。

書き手としては、自分が自由に物を書くことができ、それでお金をいただくことができる、という場所であれば、正直、それだけでありがたいことなのですが、今の世の中では、そう簡単にはいきません。出版社が、ヘイトや差別や弱者への加害に間接的・直接的に加担するーーそういうことが起きるたびに、その出版社と仕事をし続けて良いものかを悩む、その繰り返しです。もちろん書き手としては、価値観を共有できる場所で書くことが理想でしょう。けれど今の世の中、ひとつの出版社の中に、ひどいコンテンツを作る雑誌と、良質の雑誌が共存する、ということは珍しいことではありません。ひとつのことで付き合いをやめていったら、いつか書く場所がなくなってしまうのではないかという懸念も、ないわけではありません。プラットフォームについても同じことが言えます。フェイクニュースの拡散に散々加担してきたFacebook、その傘下のインスタグラム、特にアメリカではそこそこ頑張ってヘイトや偽報を規制していても、なぜか日本では、差別や嫌がらせの規制に及び腰のTwitter…どのプラットフォームにも、文句はありますが、ボイコットだけだと効力が薄いということも事実です。

いま、書き上げようとしている新著「WEの市民革命(仮)」(朝日出版社)では、トランプ政権の登場とともに、消費者と企業に働きかけることで現実的な変革を起こしてきたプログレッシブ運動について書いています。4年前に、ロシアが製造したフェイクニュースの拡散を許したさらにマック・ザッカーバーグが右傾化した(参考)Facebookは、最近、ようやく重い腰をあげて、差別や陰謀論の拡散に対する対策に動くようになりました。まだまだとはいえ、こうした進展が起きたのは、プラットフォームにとどまりながら、Facebookに対する圧力運動を続けてきたメディアやユーザー、スポンサーによる地道な運動の結果です。まだまだ足りないところはありますが、かといって、ユーザーたちがプレッシャーをかけなければ、この状態にすらならなかったでしょう。

こうしたことを散々考えて、今回、私は、ふたつのことを決めました。

ひとつは、これまでnoteのマガジンとして発信してきたコンテンツを、自分が運営するメルマガでも同時に走らせること。

よく考えてみたら、それは、今回の件が起きていなかったとしても、考えるべきことだったのでしょう。読んでくださる方がコンテンツを受信するチャンネルも、自分の収入源も、多様であるべきなのでしょう。「選べる」ということが大切なのだろうと思います。

正直なところ、この一件が起きる前のnoteに対する最大の不満は、なんといっても手数料の高さでした。競合にあたるプラットフォームがないため、noteは、手数料を高く設定することができる。自分のコンテンツの売上を、noteだけに依存することについては前から問題に感じていましたから、ちょうどいい機会だということなのでしょう。

noteからメルマガに切り替えたい、という人のために、こちらに情報をアップしています。



まだ追いついてはいませんが、mediumもいいよと教えてくださった方がいたので、そちらのほうも勉強してみようと思います。


もうひとつは、ピース・オブ・ケイクがよりよいプラットフォーム会社になるように、ひとりのユーザーとして努力する、ということです。

ポスト資本主義の形態のひとつとして、この数年間、注目を浴び、特にコロナウィルスが到来してからは、さらに強いラブコールを受けている概念に、ステイクホルダー・キャピタリズムというものがあります。株主に加え、社員、ベンダー(出入りの業者)、ユーザー/顧客、周辺地域といったすべての「ステイクホルダー」の利益を追求する、というポスト資本主義のあり方です。

たかがひとりのユーザーではありますが、自分なりにこれまでnoteというプラットフォームに投資してきましたから、本のリサーチで学んだことを思い出し、自分が関わる企業がよりよいプラットフォームになるために、自分なりのフィードバックを返す、ということを、とりあえず一度は、やってみようと思いました。

今回の件についてツイートしたあと、POCの加藤さん、スタッフの方からご連絡をいただきました。正直なところ、cakes編集部から出た謝罪文には納得できないところもあり、また、普段からのあり方にも(たとえばQアノン関係のポストが放置されていることなど)疑問もあります。まずは、ユーザーとして、私からの要望、質問を送ることにしました。これについては、今、リストアップしています。その対話については、また別の機会にシェアできればと思っています。



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