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さよなら、テレビ。物を手放すと「思い出」も失ってしまうのか?

もうほとんど、見ることのなかったテレビ。昨日ジモティーを通して、ようやく手放した。

リモコンが効かなくなって以来、テレビを見る時はわざわざ本体の電源を入れにいかないといけなくなっていた。

「新しいテレビに買い換えよう」

本当は、そう思っていた。テレビ台だって新調するつもりだった。

でも。見たい番組はタブレットからTVerでほとんど見れてしまうし、休日はずっと動画を見ている。録画した番組を見返すことも、今はほとんど無い。

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唯一テレビの必要性を感じていたオリンピックだって、今年はもう無い。だからもう、とうの昔にテレビは私にとって不要なモノになっていた。

そんなの分かってる。

ただ、子どもの頃から当たり前にあるテレビを失うのは、正直自信がなかった。そんなだから、買い換えるつもりで一時的に床置きしてから半年も経っていた。

半年が経過する過程で私とテレビの関係性はどんどん薄らぎ「もうテレビが無くても平気かもしれない」と思えるようになっていった。そしてようやく昨日、手放すことができた。

ジモティーの引渡しはとてもスムーズで、約束の時間がくると、あっという間に「元:テレビのあった場所」は空っぽになった。

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いつもなら目の前のポッカリ空いたスペースを見て「あ〜!スッキリした!」と気分が晴れやかになるところだ。

なのに。今回は、違った。何だか、切ない気持ちになった。手放したことの後悔はない。ならばこの気持ちは、どこからきているんだろう?

少し考えて、その理由がDVDに録画した中身にあるのかもしれないと思った。DVDレコーダーには、何年も前から録画したデータが詰まっている。それが突然失くなって喪失感を覚えたのかもしれない。

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一瞬冷静に考え直してみたものの、やはり「不要モノ」に変わりはなく、手放したことの後悔もない。

でも、それでも。

毎週楽しみにしていた、あの料理番組。
SNSをはじめるきっかけになったドキュメンタリー。

ときどき見返して、あの日あのとき興味があったことを思い出しては、少しだけ当時の気持ちに思いを馳せて余韻にひたる。

つまるところ。私は、録画したデータに写真アルバムを見るときと同じような郷愁を感じていたんだ。

思い入れのあるデータだけコピーして残せばよかったかな?一瞬そんな考えが頭をよぎり、心臓がキュッと痛くなる。

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でも、きっと。半年後には。

手元に残したデータを、手放そうとしている私がいるはずだ。そもそも部屋にはテレビもDVDレコーダーも残ってないのだから、後悔しようもないのだけど、思考と感情は勝手につぶやき続けている。

それと。モノが失くなっても、思い出が私の中から消えて失くなる事はない。そう思い直し、このまま後悔にジャックされそうな私の脳内を、冷静に取り戻す。

いつもの考えにたどり着いたことに安堵しながら、キッチンに向って珈琲を淹れる。いつもの考え。いつも淹れる珈琲。いつものルーティン。

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これからも、私は沢山のモノを手放しては、新しいモノを向かい入れるだろう。そうやって真っ当な新陳代謝を繰り返す。時にはモノと一緒に、思い出や思い込みを手放していく。

そうして空っぽになった場所に、私は何を入れたいんだろう?
どこに向かっていきたいんだろう?

モノと向き合いながら、自分に問いかける。ときどき心にわずかな痛みを伴いながら自分と対峙する。そしてまた、一歩前進するんだ。

これからも私は、整えてゆく。私が私であるために。大切な思いを心にしっかり留めて。

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