甘い匂いの宝物

日曜日の朝はホットケーキ。

我が家の大好きな
島田ゆかさんの「バムとケロ」シリーズの書き出しを彷彿させるようで
非常に恐縮なのだが

もう7年以上、この献立は変わっていない。

その間に、私が納得する味を追求し続けてきた。

ある時はお店で出されるような厚みのあるふわふわパンケーキにトライしたくて

数週間にわたって、
なんとも残念なシロモノを食べさせてしまった時期もあった。


様々なレシピを参考にさせてもらってきたが
我が家に普段置いていない、食べ慣れていない食材や道具を使うものは
やはり続かなかった。

お豆腐やヨーグルトやお餅を使ったり、
電動泡だて器だったりオーブンだったり、と
色々と工夫されていて、すごいなぁと感心した。

ただ私の場合は
仮にその道具を持っていても
それを棚から出す、という一つのアクションだけでも面倒で

結局落ち着いたのは、ごくごく基本的な

卵、砂糖、牛乳、小麦粉、ベーキングパウダー、溶かしバターを

普通の泡だて器で混ぜ、フライパンで焼くという

非常にシンプルなもの。


我が家だけのスタイルかと思うのは、粉のふるい方。


粉ふるいの道具はないので(洗うのが面倒で手放してしまった)
シンクに、粉を入れたいボウルを置き

その30㎝くらい高いところから
(子どもなら踏み台の上に立って)
粉類をざるに入れ、手をグーにして
粉に押し付けるようにして優しく
くるくると手を動かす。

これだとボウルの外にこぼれた粉も
シンクの中なら蛇口の水で洗い流せるから

子どもが大幅にこぼしても
後始末に嘆かなくて済む。

粉ふるいは面倒だが
やらないとだまが残ってしまうので
自分が許せる範囲の出来ばえと、掃除を考えて
ここに着地した。

このやり方は、子どもたちが大好き。
ひんやりした粉の感触が心地よいのか、
手をにぎにぎしはじめると、数分間は先へ進めない。

特に5歳の娘は、この作業がお気に入り。
そのため、自分のお気に入りのネコのぬいぐるみを
小麦粉からとった「こむぎちゃん」と命名した。
ただそのネコが白かっただけなのだが。

はじめて「こむぎちゃん」と聞く大人は
皆、顔にはてなマークを浮かべる。


ということで、今朝も、恒例のホットケーキ。
3歳の末息子がおなかすいたーと目を覚まし(休みの日ほど早起き)
くるくるするー!と張り切って台所へ。

小さな手でボウルをつかみ
作業しながらぺらぺら話す私の目を
それはそれは真剣な表情で見つめてくる。

まだ言葉を聞いて理解する能力が十分ではないから
私の表情や動作も含めて、
五感をフルに使って精一杯に聞いて、分かろうとしている。

私が英語を聞くときも
周りからこんな風に見えるんだろうな、と
ちょっと笑ってしまった。


しかし、子どもの目を見ないで話をしている時間の、なんと多いことか。
彼らの目には、ずっと視線が交わらず
せかせか話す母の横顔ばかり映っているのか。

今日は、ちゃんと自分の鼻を息子に向けて話す。
かがんで目線を合わせる。

割った卵の黄身を、
泡だて器の先でちょん、ちょんと突っついて
割れていく様子をじっくり見つめる。

どろっとした重みを感じる白身と
それよりはゆるい、とろっとした黄身が
マーブル状にまじっていく過程を

息をひそめて観察する。
自然と小さなささやき声で。

これだってほんの1、2分のことだが
美しいアートを堪能したような充実感があった。


焼きたてホカホカのホットケーキを
ほおばる息子。

鼻の先についた白い小麦粉と
口の横についた「あじみ~」の跡は
かわいいから、拭わない。

早朝の、母親の貴重な一人時間に
したかったこと、書きたかったこと、
やらなければならない山積みのあれこれが頭をよぎれば
心は平静でいられず
脈が若干早まるのだが

息子と楽しい時間が過ごせた。

彼の心のどこかに
今日の粉の感触は残るだろうか。

毎回恒例の「あじみ~」で
髪も、服の袖もべたべたになったことを覚えているのだろうか。

いや、彼の記憶には何も残らないかもしれない。
それでいい。
彼に何か伝えよう、などと
大それたことは思っていない。


彼のためではなく、自分のため。

他人からしたら理解されない、でも
きっとおばあちゃんになった未来の私が振り返ると
抱きしめたくなるような、ふと笑みが浮かぶような
私だけの宝物の時間を、今日もプレゼントしてもらった。


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