【CMTのこと】発症時から診断時までの振り返り
私は足にちょっとした障害があります。装具をつければだいたい日常生活は問題ないのですが、今回は発症時あたりのことを備忘録もかねて整理しておこうと思います。
発症したばかりの時はとっても悩んだ
私は出生時は特に問題なく、いわゆるフツーに走りまわって遊んだりできていたと思います。
おそらく小学校にあがるかどうかってくらいのころ、私としては、突然その日がやってきたというか、気づいた時にはもうおかしくなっていました。右足が内反してしまうのです。そんで油断すると足挫いたみたくなっちゃってめっちゃ痛い。。
徒競走が遅かったり、運動全般はダメで、おかしいなおかしいなって感じで小学校5年生くらいまでなんかだましだましやってきましたが、それでも毎日悩んで、毎晩寝る時に「明日朝起きたら治ってないかなー」って。夢であって欲しいと思っていたんだろうなぁ。
痛いことする医者はキライだ!
小学校5年生の時にようやく親も病院に連れて行ってみるかと思ったようで、近所の整形外科に。
「ちょっと専門じゃないので他に行ってくれる?」ってのを5回くらい繰り返し近所は全滅...最終的に紹介された大学病院に行きました。
そこでめっちゃ痛い検査があって(多分思い起こせば針筋電図だと思う)、針刺して電気通すのがめっちゃ痛い。当たり前ですけど。なんか若い医者がワラワラと私のまわりにいるわけです。んで「あともう1回だから」っていうわけですよ。でもその後結局3回だか5回くらい刺されてめっちゃ痛かったので睨みつけておきましたಠ_ಠ
んで結局その時はなんだかわかんなかったんです(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
なんかオーダーメイドの重たい革靴をつくって履かされたけど、そんなんじゃ校庭で遊べないし、すぐ履くのやめてしまってましたね。。。なんだかわかんないけどしょうがないって感じで生活を続けたわけです。
看護学校に通ってたらもっかい調べてみたい気持ちになる
高校を卒業したあと、いろいろあって(今ここで書くのはめんどうなので割愛します)働きながら看護師の専門学校に行くことになったんです。そうするといろんな病気のこと授業で勉強するわけです。その分野の専門の医者が教えにくるわけですね。
そしたら「あ、わたしこも病気かも」ってのが授業でやったわけですよ。もう1回、ちゃんと調べてみようかな。なにか原因や治療がわかるかもしれないし。。。ってもっと調べたてみたい気持ちになりました。授業のあとにすぐその医者に声かけに行って、後日受診することにしたわけです。
再び大学病院で調べることになる
結局授業でお世話になった先生もわからないってことだったんですが、大学病院を紹介してくれました。小学生の時に行ったところと違う病院です。
まーこの間10年以上経ってましたから、いろいろ医療も進歩してるはずです。
期待を膨らませて行ったところ、その先生から、「脊椎の病気か末梢神経の病気だけど、たぶん末梢神経のほうだと思う」と。そのあと何度か通って、確定ではないけど診断がつきました。
病名は「シャルコーマリートゥース病」でした。
えーなにそれ?!
聞いたこともない笑
難病に指定されていて、緩徐進行性の遺伝子異常による病気です。
足が悪いのになんで看護師になっちゃったんだろー
診断はつきましたが結局治療法はなく、様子をみていくことになりました。
まもなく就職し数年仕事をしていく中で、学生時代とは足の負担がだいぶ違う。。。病棟勤務で夜勤ももちろんしていましたから足には結構な負担がかかります。ずーっと動き回ってるわけですからねー。。。
そしたら、また頻繁に足を挫いてしまう現象が始まっちゃたわけです。。。
足の手術することになる
足がどうにも痛いし、痛い中仕事していると気が滅入ってくるので、不安もありましたが手術に踏み切りました。治療法はないと前述しましたが、対症療法として、変形した足の矯正をする手術(骨切り術)🦴をすることになりました。確か20代半ば頃だったと思います。
入院生活めっちゃ地獄だった
手術とリハビリ含め計2ヶ月入院しました。両方の足をいっぺんに手術し、1ヶ月くらいは車椅子生活だったと記憶してます。
病院から出られない生活にかなりストレスを感じていました。
そこの病院は先天性の病気を得意とする病院で、主に小児期の整形外科的手術を行っていました。私が1番年上、その次が高校生が1人いたかな?あと他は全部小学生やそれ以下で、話をできる人がいないということもストレスだったと思います。
退院の頃には装具をつけて病院と自宅(電車を乗り継いで行く)を行ったり来たりできるくらい脚力がついていました。
つづく
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