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ようやく、2023年のふりかえり

2024年はすでに2月をむかえました。
元旦にあった地震や、自分の中では大仕事であった井波ミライフォーラムを終え、日常に追いつこうとモタモタしていたら2月になっていたという。。

落ち着いてふりかえることができないままだったことがずっとひっかかっていたので、今更ですがここにふりかえりを書き留めておこうと思います。

2023年はじめに掲げていた一文字は「礎」
暮らし・仕事・子育て・自分、それらの好循環を目指す上での「礎」の安定、つまり心身のバランスや、しなやかなマインドの土台をつくること。
40代を目前に、次のライフステージへの一歩としてこれからの人生を豊かにしていくための「礎」をつくることが目標でした。
安定=留まることではなく、訓練とチャレンジを積み重ねることで、その礎をつくるイメージ。

2023年はとにかく、大小いろんなチャレンジをした年でした。

1月
アトリエを拠点としたライフワークを実践するため、足がかりとしてやってみたい事に関わるキーパーソンになる人と打ち合わせをはじめました。
何をするにしても、自分の考えや想いを言語化して伝えることが必要になってくるので、「文章」ではなく「話す」ことに対して訓練の意識を持ち始めた時期。
熟考して書くことはできても、咄嗟に言葉にして話すことに対して苦手意識があったので、これは訓練するしかないなと。
自分の考えや価値観というものを持つことやそれを言語化できること、そして伝えることができることは、これから生きていく上で必要なスキルだと、そんな意識をもっていました。
その意識があったので、1年を通して、PTAの座談会、〇○報告会といった、人前で話すことに勇気をふりしぼって参加した事がこの1年は多かったです。

2月
そのスキルを訓練する上でもう一つ自分に必要だったことが、「オンラインで話すことにも慣れること」がありました。
デジタル音痴なわたしは、ずっとオンライン(zoomなど)に苦手意識があって。しかし、苦手だからと避けていては、今の世の中、可能性や選択肢の幅がかなり制限されてしまうという危機感も同時に感じていました。
ただ受動的に見聞きするためだけではなく、コミュニケーションツールとしてオンラインに慣れること。そこで自分の言葉を話せること。
その訓練が必要でした。
年初はまだ慣れない中、オンラインで今年の抱負をシェアする会に参加したり、そこから1年を通して、読書会、説明会、意見交換、各種打ち合わせなどとにかくオンラインの場数をふみました。最初は手に汗にぎりながら嫌なドキドキ感を伴っていたものが、1年かけてようやく抵抗なくできるようになった気がします。
デジタル音痴なりに、Wi-Fi環境を整えたり、パソコンの設定をしたり、調べながら夫やわかる人に聞きながら、失敗もしながら(笑)がんばったなぁと思います。

3月
自分も家族も、順にインフルエンザでダウンした3月。
健やかな心身をとりもどすまでに半月ほど時間を要することになりました。
春分の日にはどこかクリアになった感覚があり、
この月から、新月満月の日にwishリストを書くことをはじめ、今に至っています。
他力本願に書く願い事ではなく、自分と対話しながらより具体的に言語化やイメージングをする、わたしの中ではとっても真面目な「儀式」です。

4月
アトリエでMorninngエクササイズをやってみた4月。
わだ綾さんをお迎えして、アトリエの場づくりの初企画でした。

香りを通じた自己探求を通してmy香水も作ったなぁ。
前年から1年かけて、BLISSの茂谷あすかさんに伴走していただきました。自分と向き合い続けてきたことを「香り」に表現していただいた事に感動。わたしは、わたしに対して潔い「解放宣言」を出すことができたのです。

夫が転職して新たなスタートを切った4月でもありました。
そこには、夫婦がそれぞれに今後の人生について真剣に考え、長い時間をかけて対話してきた語りつくせないほどの経緯があって。
ようやく、新たなスタート地点に立つことができました。

5月
アトリエでCAFE & LIVEを開催しました。
ここで歌ってみたいと言ってくれたシンガーソングライターの北村瞳ちゃんとのご縁がきっかけで、やってみたかったことをカタチにできたのは喜びでした。なんせ初めてなことばかりで、そこには鍛えられました。自分を起点に他の誰かの喜びやきっかけにつながっていくことが何より嬉しいと感じた経験でした。

6月
コロナが5類になったことにより、制限から解放されるように世の中が外へ外へと意識がむきはじめたタイミング。
夫の働き方が変わったことで、心身ともに互いの身動きのとり辛さも緩和されはじめた時期でした。
子どもたちの成長も相まって、仕事で遠方への出張を8年ぶりに再開。
子育てとコロナで、ずっと閉塞感の中にいたわたしは、その土地や場所、人からダイレクトに感じることの楽しさがムクムクと目覚めるような感覚がありました。
アンテナが急に海外にまで向くようになり、自分でも思いもよらなかったデンマークの視察ツアーの情報をキャッチ。
それこそ、視察のテーマにもあった、社会や教育、心理に対する興味をもつようになたのは、子育てやコロナで混沌とした日々があったからです。
自分を深堀りしていく中で、その背景となるそれらを知っていくことで開けてきたことがたくさんありました。
デンマーク視察は、私の興味関心を、ダイレクトに体験して学べることに惹かれたのでした。

7月
ただし、行きたい気持ちと現実とのすり合わせにはやはり苦労しました。
10日間デンマークへ行くということは、子どもたちの事があるので、家族の協力が不可欠。
飛行機チケットがの残りわずかの状態で、決断までの時間は限られていました。そんな中、家族や協力者の理解を得ることと現実的な段取りをするために、この時ばかりはかなりの寝不足でした。
ここでもやはり、自分の想いや価値観を言語化し伝えることが試されたし、ただ伝えるだけではない、理解を得るための「対話」する力が必要でした。
結果的に、気持ち的にも物理的にも応援してもらえる事になり、感謝とともに引き締まる想いでした。

8月
デンマークへ行くことは決まったものの、ここからは自分との闘いだったなぁ。。。
自分の中で大きなチャレンジの機会を無駄にしたくない、協力してくれる人たちのことも考えるとなおさら。その想いが先行して、行くまでにこうしなければという「ねば」「べき」に囚われていました。
行く前にこの本を読んでおかねば、基礎知識としてこれは調べておくべき、
写真をキレイに撮りたいからスマホを買い替えていかねば、パスポートを更新せねば、などなど。必須事項はもちろんですが、「ねば」「べき」を仕事や日常のやりくりの中に無理やりつめこんでいたので、圧倒的に時間が足りませんでした。できていない自分に焦りを感じて、焦りは不安につながりました。当然それは日常にも影響するのですべてが悪循環。体調も悪かったです。
そんな中、「等身大で感じてこればいいよ、ガチガチにコントロールしようと思わずに、委ねてみたらいいんじゃない?」「優美子さんは絶対大丈夫」
わたしの良き理解者である人たちがそうやって優しく背中を押しながら支えてくれました。
やれるだけの事をやって、あとは、ありのままの今の自分で感じてこよう。
一番の理解者であり安心して諸々を任せられる夫の存在にも支えられ、出発の日は、穏やかな気持ちで迎えることができました。

9月
デンマークで見たもの、聴いたこと、感じた経験は、わたしの価値観や日常の端々にエッセンスとして広がりました。特に、「対話」「余白」というキーワードはこれからの自分に活かされていくように感じています。
一緒に行ったメンバーにも恵まれ、体験して学んできたことや感じたことをシェアする報告会もリアルとオンラインの2度開催。
行って終わりではなく、次のアクションにつなげることや、シェアすることで輪を広げることを経験しました。
人前で話すことにはまだまだ慣れないので、報告会はかなりの緊張で声が震えていた気がします(笑)

アトリエでは、長谷川由美子さんをお招きして、念願の「竹を編む会」を実施。年初からやる事を決めて打ち合わせもしていたので、準備はスムーズでした。集って、手を動かして一緒に作るって本当に楽しい。わたしの中の豊かさに必要な時間だと思いました。

デンマークから帰ってきて、ゆっくり休む間もなくその後も行事やイベントが続いたので、楽しくもありチャレンジも盛りだくさんだった時期。
疲れもでてきていたのは正直なところでした。自分の今のキャパシティーを再確認しながら、休むことにも意識をむけるように。

10月
それでも今は、自分の中で必要な機会と思えることがたくさん巡ってきて。
今はがんばりたいと思う時でもありました。
5月頃から関わり始めていたイナミライのことが大きく動き出した時期。
わたしの生まれ育ったまちであり、家業を営むまちでもある井波の未来を考えるイナミライのことは、自分の在り方を考えることにも通ずるところがあります。
2年をかけて話し合われてきた「井波未来ビジョン」の中間報告会で発表する役割を担わせていただきました。自分のエピソードも交えながらの原稿を考えたこと、人前で話すことはまた、自分を鍛える機会になりました。
年明けに行われる井波ミライフォーラムのプロジェクト運営が本格的に始まったのもこの時期。
工房の繁忙期と重なることが不安要素ではあったけれど、作り手さんや助っ人さんの協力体制をつくって、協力的なみなさんに支えられながら、1日1日着実にクリアしていきました。

11月
「井波ミライフォーラム」を作り上げる準備がここから大詰め。
1つのイベントを作り上げる過程やそこに関わる人を通じて多くを学びました。本業や個が自立した人たちの集まりである運営チームでは、自然と個々の役割が発揮されていました。自分の「できる」と「できない」を理解していることや、自分の強みや自己理解なしにはできないことです。自己理解に関するアプローチは長年やってきたので、自分の得意をそれぞれが持ち寄ることで作り上げていく過程は、大変でしたが楽しくもありました。尊敬する素晴らしい人たちの中で内心かなり怯みながらも、一員として自分にできることで動けたこともあり、自己効力感を更新できた経験でした。


12月
師走というだけでなんだか気持ちが忙しい時期。そんな空気にどこか怖気づいてしまうことも多い中、限られた時間の中でフォーラムで公開するビジョン動画の撮影がありました。どこまでも前向きに着実に作り上げていく過程には、そこに関わる人たちの確かな熱量がありました。
自分の熱量が自分をすり減らすものになっては本末転倒。自分も健全にその熱量を発揮したい。
誰かのため、何かのためにという気持ちも大切ですが、自分を見失わないちょうど良いバランスを保てていて初めてその熱量は活かされるものです。
週末は予定を詰め込まずに、何もない日をつくったり、意識的に余白をつくるようにしていました。
そして1月に控えているフォーラムでの『井波ビジョン2040』の発表という大きなプレッシャーを抱えたままの年越しだったので、それが終わるまではわたしの正月はおあずけ、という状態で、2023年の幕を閉じたのでした。

ざっと、2023年の動きをまとめてみました。
いや、本当に頑張ったな、、自分。
元々、三姉妹で家業に携わっている中で、各々「個人」がまずは心身の自立やアイデンティティーを確立することが重要という意識もあり、今はそういうタイミングだと位置づけしています。
本気でしんどかった瞬間も多かったけど、能動的に動ける大変さは、ふりかえると楽しいものだったように思います。

ちなみに、時間を捻出することは必須で、うまくいったポイントとを覚書。
●朝の時間の活用(4:30ころ起床)
●毎週金曜はニュートラルに動ける日とする。
●自分の時間をつくるための休日の夫との分担
この3点のやりくりで時間を生み出しました。

さて、すでに2024年。
どんな1年にしたいか、また自分のペースで言語化しようと思います。

そしてまた、こうやって、がんばったなぁって、ふりかえりたいのです。





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