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人の役に立ちたい気持ちと自己犠牲

人の役に立ちたいことと、自己犠牲。
これらは別物だけど、つながってしまうことがある。

つながってしまっていたのは、まさに私の専業主婦時代。

自己犠牲になっていたころ


あの頃は、メディアで「専業主婦なんて楽してるだけ」と叫んでいる人もいた。私は、「知らないくせに言うな!!」とものすごく怒りを感じていたけれど、「稼ぎがない、社会にお金を生み出していない」と言われると、確かにその通り。あの頃は、劣等感を感じていた。

家でも、「お母さんは我慢するもの」(母からの影響)、「外で働いていない分、育児と家事をしっかりやらなくてはいけない」(社会からの圧を勝手に感じてしまって)との思い込みに縛られて、変な負けん気と義務感でなんとなく苦しかった。

そんな私だから、「仕事しているお母さんより、子ども関係の仕事を引き受けなくては」との思いで仕事を引き受けたことが何度かある。自分が本当に心からやりたいと思ってやったことではない。

やる人がいなかった。
自分が動いたらスムーズに事が運ぶ。
何もできていない私だから、せめてこれくらい。

誰でも人は「誰かの役に立ちたい」、「誰かの役に立てるとうれしい」という本能や気持ちがある。

でもよく思い出してほしい。

仕事しているかどうかや、何かができるかどうかで人の価値って決まらない。誰だって、価値のある人間なんだってこと。

あたなが存在しているだけで、誰かの喜びになっているし、誰かの役に立てている。

先日、反対の経験もした。

自分がやりたいからやったことが、結果的に人の役に立てたこと


日本文化の紹介のボランティアをした。
実は最初からものすごくワクワクしていたわけではないけれど、、海外の人に日本のことを紹介できること、また、それで喜んでもらえることは、私の好きなことで、喜びになることを、これまでも経験していた。

実際に喜んでもらっている姿を直に感じることができたり、お客さんがひっきりなしに来てくれて、本当にうれしい忙しさだった。

楽しくて楽しくて、お当番の時間が過ぎても、まだまだボランティアが足りない状況だったこともあり、夢中になってやっているうちに、終わりの時間になった。

これがまさに、「自分がやりたいこと、楽しんでやっていることが、結果的に人の役に立てた」ということ。

「人のために」は美徳だけど・・・


「人のために」の心は、美徳だけど、「自分が本当にそうしたいから」を大切にしたい。無理してやることは、自分の気持ちが高まってこないし、不満が出てきやすいと思う。

また、いくら好きでやっていることでも、やりすぎて自分を消耗させてまでするのは、自己犠牲になってしまう。「自分の心が心地よい範囲」でやることが大切だと思う。子育てもそう。「子どもたちがかわいいから。子どもたちのために。」でも、自分のことを我慢ばかりしていると、「なんでわたしばっかり」と不満が出てきませんか?

「人のために」することも、自分を大切にすることを忘れずにいたいと思う。


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