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当たり前

先日、水道のお水が茶色く濁りました。
これまでにも何度かあったこと。
(だいたい強めの雨の日に起こり、不思議と自然と直ります。)

もちろん飲料用には使えないし、
それでお風呂に入る気にもなれなかった。

日本ではこんなこと経験したことがなくて。
(現在オーストラリアに住んでいます。)

お水に関する瞑想のクラスに参加したあとの出来事でした。なんというタイミング! この瞑想クラスで、お水への感謝の気持ち、日常の当たり前が当たり前ではないことをとても感じていたので、この出来事は、蛇口をひねればいつだってクリーンなお水を手にできることが、当たり前のようで当たり前ではないのだ、との実体験になりました。

他にも、こちらに来てから、日本では当たり前だった「便利」が手に入らない場面がいくつかありました。

「日本にいたときは、便利なことが当たり前になっていたな。」

当たり前になっていると、それに対する感謝の気持ちをいつの間にか忘れてしまいがちです。

「当たり前」
それは人が作ったものかもしれないし、自然の恵みかもしれません。
もしくはそれらが合わさったものかもしれません。

それが「当たり前」であるために、
支えてくれている人がいます。気にかけてくれている人がいます。

「当たり前」はただ自然に「当たり前」としてそこにあるのではないことを心に留めておきたいです。

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