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学校に通え(わ)ないこどもを支える場

昨日横浜市泉区で2021年から活動をしている「かけはし」の廣瀬さんという方がカフェにきてくれて、こまちぷらすで月1主催している「不登校・ひきこもりの親ができること ~ほっとひと息金曜日~」の担当スタッフと一緒に意見交換をしました。

かけはしの事業

「①学校に行け(か)ないこどもを支えたい」という気持から徹底的にこどもたちのペースで過ごせる居場所やわくわく農園(5区画の畑をこどもたちとボランティアの方と運営)の運営、「②こどもたちの可能性や世界を広げたい」ということでキャリア大学という事業やかけはしプロジェクトというプロジェクトの運営、「③地域の中でこどもたちを支えたい」という志からで居場所の連絡協議会の立ち上げや「かけカフェ」という常設の居場所の開設(現在準備中)、「④居場所でのこどもたちの姿を伝えたい」ということで広報や学校連携をされています。

◆廣瀬さんの想い
元教員でもらっしゃる廣瀬さん。優しい話し方の中からもこどもたち一人一人への熱い想いがびしびし伝わってきます。

・一緒にいるだけでいい
・こどもたちが何をしたいかの自己決定をする
・ゲームやボードゲームを通して、やった!楽しい!そうした時間をやりたいことをやれる時間をつくっている。ゲームだからこそ来たいつながれる子もいる。
・模型をつくるのが好きな大人がいたらその方にきてもらってじっと見て、うんうんと頷いている、それだけでもすごい学び
・大人たちはそうした素敵な大人との出会いをつくる

そうしたお話を聞かせてもらいました。

最初は1人のこどもの利用からはじめた居場所。今や30人の利用になり、毎週数人からの問合せもあるとのこと。また、泉区でこれから古民家を改修しながらカフェをつくろうとしているとのこと、心から応援しています。

「何かをする」にしない場

こまちぷらすでもこどもたちの居場所はどういう風につくっ
ていけるだろうと1-2年前くらいから考え始めて試行錯誤しながらスタッフが考え不定期に夕方~夜にかけて居場所をはじめています。

https://ameblo.jp/hottohitoiki2018/entry-12709025493.html?frm_src=thumb_module

「何かをする場」以上に、「何かをするにしない場」をつくるということは言うは簡単ですが、実践していくのは簡単ではありません。スタッフがボランティアの方と入ってこどもたちが来てくれて過ごしている姿を遠くから初日に見て、こどもたちがとことんやりたいこと(やりたいと思うことが湧いてくるまで見ている時間含め)を一緒に過ごすということなんだなと思いました。

何かのために、ではなく、「ただ一緒に過ごす」そういう時間と場があるようでなかなかない。


境界線


上村卓さんという方がかいているこちらのブログ
【ひきこもり歴13年から今にいたるまで③】の中の言葉に、

保健室登校をしていたとき、クラスのみんなが音楽室から保健室前の廊下にたつ自分に向かってうたってくれたシーンが描かれていて、
『どうして私はあそこに、皆と一緒にいないのだろう。
どうして私はあそこに行けないのだろう。
足元には深く暗い溝が広がっていた。
見上げると、みんながずっとずっと遠くにいて明るい歌を歌っていた。
それまで直視はしていなかったけれど、そこにうっすらと見えていた境界線を上からはっきりとなぞられた気がした。
先生や皆は、よかれと思って歌ってくれたのだろう。
私もみんなの一員だよという意味を込めてのことだったのかもしれない。
でも当時の私には、それは自分が保健室登校をしている生徒だということ、みんなとは違う立場の生徒だということ、励ますべきかわいそうな存在であるということを突き付けられたように感じられた。
みんなにありがとうとも、やめてほしいとも言えないまま私は立ち尽くしていた。
こちらからみんなに発することができる言葉を私は持っていなかった。 
そして、私は音楽室へ向かうことも、保健室に戻ることもできないまま、みんなのことを見つめていた。
このようなことを経て、私は保健室登校もできなくなっていった。』

という言葉があります。

『うっすらと見えていた境界線を上からはっきりとなぞられた』励まそうとクラスの子たちが歌ってくれているそのことに『違う立場であることを突き付けられた』という表現がありますが、こうした境界線についても廣瀬さんやスタッフと一緒に話す中で話題になりました。


見える側にたったときに見える境界線がある。
それを知らず知らず自分もひいているときがある。
それに無自覚だから傷つけていることもある。
かえってよかれと思っているからこそ相手が何も言えない状況をつくってしまうこともある。

そんな風に、自分がどちらの側にも立っていることを思い出したり思ったりしました。

「良くしようとするのはやめたほうがよい」村田由夫さんの本に書いてあること(以前自分のnoteにも感想書きましたが)ともかぶりますが、良くしようとするのではなく、無自覚な自分がそこにいるかもしれないということから知ろうとする、まだ言葉が探せていないけど感じていることがあるかもしれないという想像をする、ただ一緒にいる、そんなことが本当に今必要なんだなと思った時間でした。


◆かけはしさんのホームページはこちら。
ホームページ)
https://kakehashi.link/