霊山護国神社
ここには坂本龍馬と中岡慎太郎の墓碑が並んでいる神社で、沢山の倒幕維新の犠牲者の霊を慰めるために明治政府が京都招魂社として建てられたところです。坂本龍馬のファンは多く、沢山の人がお参りに立ち寄られるところです。霊山歴史館がすぐそばにあり、幕末の歴史を知るのにとても重要な場所となっています。坂本龍馬好きなお客様が三年坂途中にある坂本龍馬の定宿となっていた”明保野亭”と共に、必ず行かれる場所です。
11月15日は坂本龍馬が生誕しなくなった日でもあるため、高知では生誕祭、霊山護国神社では墓前祭(龍馬祭)が行われます。龍馬・慎太郎が遭難した日の「シャモ(軍鶏)を食べたい」という最後の会話にちなみ、高知県北川村の (中岡慎太郎顕彰会)よりシャモの寄進を受け、当日境内で京都高知県人会有志が社務所の協力を得てシャモ鍋を作り、 正午より墓前に供えし、参列者にふるまわれることもあり、全国各地より多くのファンが参拝に訪れます。
霊山は”ふとん着て寝たる姿や東山”と謳われた東山三十六峰の一つで、古くは霊鷲山(りょうじゅせん)といい、インドのマカダ王国にあった山の名で釈迦が法華経を説いたところとされています。
平安時代に光孝天皇が最澄を開基として”霊山寺”を建てられたが間もなく荒れてしまい、南北朝時代に時宗の国阿という僧が”霊山・正法寺”とし再建、現在も歴史館の東南に残ってあります。この正法寺の塔頭の清林庵の敷地の一部が霊明神社を建て、その一部が明治政府の所有となって護国神社が建てられたそうです。
こうして歴史の古いところから存在のあるところが今も大事に残されて、訪れることで歴史を身近に感じることのできることを、とても贅沢に感じます。いろんな想いで先人たちは今のこの時代を作って来られたのだなあと、思います。7/12
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