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何にそんなこだわっているのか


喋りながら、謎にスイッチが入っている時がある。

いろんなスイッチがあるみたいで、久しぶりの、とあるスイッチが入って、modeに入ったことに、ビックリしている。

自分で自分をみて、言う。


何にそんなこだわっているのか?と。


愛、について、ことばにするのは、

と言いながら、愛について語り始めると、

謎のスイッチが入る。

しかも、その熱量と勢いが、なように自分では感じられて。

例え、になっているかわからないのだけど、

通常の孫悟空じゃなくて、スーパーサイヤ人modeになっている時のような。


あの時の悟空がどうなっているのかは、まったく知らない、のだけど、

自分の感覚で言うなら、

ゆるせない何か、がある状態になる。


あのmodeの時の自分は、音と流れについて、過敏で神経質とも言えるほどに、

自分のこだわりからハズレていると、ゆるせない。

ものすごい、エゴ、だなとおもう。


そうだね。あれは、完全にエゴが大発動している状態だ。


それを、今みたいに、なんなのか?がわからないまま、playしている瞬間を思い返すと、

つながるものをみつける。


あの感覚は、中学生の頃、部活の自分、に似ている。


自分は、合唱部に入っていて、パートリーダーというのをやっていて。

時代のタイミングもあるし、その中学校の合唱部は、いわゆる、盛ん、なのもあり、

それなりの何かを目指している、そんな場だった。


部活にありがち、なのかもしれないけれど、コンクールでの入賞や全国大会行きを目指す!ってなり、

自分は正直、音楽で競う、というのが感覚的によくわからず、どこかさめた目でみているところはあったのだけど。

でも、まぁ、そういう感じなら、パートリーダーっていう立場もあるし、音楽や演奏については、自分のこだわり、はあるから、やるか、みたいなスタンスだった。


ちなみに、高校でも合唱部で、パートリーダーをやっていたのだけど。

どのタイミングでだったかは、もはや忘れたものの、いつからか『鬼パートリーダー』と呼ばれていたw


それは、めちゃくちゃ厳しい というところから来ている?よう?(わからないのだよね)なのだけど、


" なにか目指すものがあるなら、それぐらいやんのがあたりまえだろ?そこに関して、しのごの泣き言だの文句だの愚痴だの言ってんじゃねぇよ。やれるところまでやりきれ、やりきったとおもっても、その先があるんだから、終わらねぇんだよ、追究は。それぐらいやる氣がねぇんなら、なにかを、それも高み的なものを、目指すとか軽々しく言ってんなよ?ふざけてんのか?たたっ斬るぞ "


みたいな、自分は、確かに、中にいる。


いや、それなりのもの?ところ?目指す?なら、

あたりまえ


でしょ?そんなの。笑笑


だから?、自分の、特に中学生の頃の、自分のパート練習は、ほんとうに辛辣だったとおもっている。

自分で、ね。

パートメンバーや、ほかの部員仲間が、実際のところどう思っていたのは、知らない。

なにか思っていても、言えない...だったかもしれないしね?笑笑


でも、途中で、"お役御免" になることはなかったし、部で目指していた入賞なり全国大会出場とかは、叶っていたよね。

いまの自分の目線でいくと、それは、自分がやったから、とかではなく、【そうなることは決まっていた】で、あの頃の自分はその【プロセス】を味わっていたのだろう、って、みる。


だけど、ふと、かなしかったことが、思い出された。

ある時、教育実習の男性が来た。数週間、部活に顔を出すという。


その時期は、コンクールの一週間か二週間前、とかで、金賞をとるんだ!とか何とか言っているような状態で。


自分としては、金賞とかはどうでもいいんだよ、音楽というジャンルで競い合う、点数をつけるなんて、まじでくだらねぇ、っておもっているわけだから。

目指すって言うなら、じゃあやれることはやってやろうじゃん、というスタンスでいるから、やるし、言う、よね。


部活の終わりには、各パートと部長、先生から、一言、みたいな時間があって。

その日、発言したんだ、

言った内容は、金賞を目指すならもっとやらなきゃだめだとおもう、みたいな主旨で、何を?っていうのを、具体的に言っている、はず。

そうしたら、だよ。

その、教育実習の男性は、何を思ったのか、

賞にこだわってそんな風になるのはどうかと思う

みたいな内容のことを言ったわけだ。


お前に何がわかるんだよ

っておもったよね。


たかが、ちょっと来て、居るだけで、お前に何がわかる?

ひとのことばの真意もわからないお前の奏でる音楽は、どれほど素晴らしいんだ?

(そのひとは、大学で管楽器をやっているとか、そういう話だった)

こいつ、、、っておもったよね。


怒りだった。

だけど、それ以前にあるのは、かなしみだ。


理解されない。どころか、誤解されている。


"賞にこだわってんのは、俺じゃねーよ!こいつらだっての!くっそ、被せやがって。"


だよ、氣分は。


いま、みれば、

賞にこだわりがない、と言いながら、でも、みんなが、何なら同じチームなりプロジェクトの「仲間」が、やりたい、いってみたい、あそこに!🥺✨って言うなら、...じゃあやってみっか?ってなるよ。

って、意を汲んだ時点で、ハタからみれば、同じ、になるんだ、多分。

自分の意識がどうであれ、賞にこだわってるひと、に認定される。


さらに言うなら(笑)

すべて、自分で創り出して、みているわけだから👏😆🎊笑笑

あらゆる、自分の意識がそこには反映?投影?されているわけで、自作自演のひとり茶番劇、なわけだよ。つねに、ね😌🍀

まあまあ、だけど、たまには、その視点を一旦横に置いて、「入り込んでいる視点」で描いてみるのもいいじゃないか😉👍🌈


あー、でも、さめちゃったね🦈💡このテンションになってる、ってことは(笑)


まーまー😌🌌

でも、おかげさまで思い出した?思い当たった?仮説が立てられる?よ😊



なぜ、自分は『本氣』を出すことをおそれているのか、制限しているのか。

真意が理解されない、誤解される。可能性がある。

それが、とてつもなく、かなしい、から。かもしれない😌🍀


しかも、自分としては、仲間の求める高み?ところ?方向に、自分のやれることを全精力注いでた、という感覚、にもかかわらず、

そこは、みられない、んだ?きづかれない、んだ?...へぇ〜😄

という、、、この感覚、感情は何なんだろうな。

ちょっと、ことばにならない、しきれない。


いま、みれば、ね、

その教育実習生の男性は、もしかすると、真意はみえていたのかもしれないし、わかってはいたけど、あえてことばにはしなかった、のかもしれない。わからない😌🍀

まぁ、ひとり茶番劇なので、もはやまじでそこはどうでもいい(笑)とも言えるんだけどね?👏😂


なんにせよ、当時の?自分は、いまとはちがう視点で、どっぷり入り込んでセカイをみて、ドラマplayをたのしんでいるので、そんな、相手の真意を慮る、なんてできてないわけで


って、そーゆーことか(笑)


相手の真意を慮る、なんてできてない自分が、つくり、みているセカイであり、ドラマだから、、、なのか😳❗️


、、、、、、、、www ほんとウケるわ😂🌈


いやはや(笑)

いまだって、わからないよ😌相手の真意を慮っているのかどうかなんて。

表面的なことば、ことばの表面的なこと?だけでなく、

何を言わんとしているのか

なんなら、本人すらきづいていない何かすらも、キャッチ、汲み取れるのか

そんなことは、意識的にやっているわけではなく、感覚的なことであって、

相手が察知されたくないなら、きっと、わたしはそこを汲み取らない、ことを、無意識にやったりもするのかもしれない。

ぼかす。ぼやかす。

もんやりさせるんだ、なんとなく、なんだけど。

みようとすれば、きっとみえるのだろうけど、そんなもん、あえてみにいって、なんになんの?笑

それでも、きっと、なにかを感知?はするのだろうけど、みないよ😌ね。


えー、なんの話をしているのか、な?笑


おしまい♪😉(唐突w)

何か響くものや氣づきなどありましたら、サポートいただけますとうれしいです☺️🌸感謝と豊かさ、しあわせ循環🐈💞をイメージして、使わせていただきます😊🙏🌈🍀✨