見出し画像

表現する事 と しない事



表現する、から、見えるようになる、ことがある。

と同時に、表現するから、みえなくなることも、ある。

*

内側に在る、湧いてきている全てを、

例えば、ことばで表現する、のは、

時に、なかなかに大掛かりだったりして。

*

だから、

《その人が、その瞬間、表現している事》は、

きっと、その人の内側の全て、では無いし、

表現していること=見えている、意識されていること、

とは言い切れない。

*

ただ、もしかすると、

表現されていないこと、というのは、

見えていない、意識されていない、と受け取られがち、

かもしれない、ね?

*

目に見えるもの、は、時として、分かりやすい、

けれど、

視覚化・言語化する事によって、分からなくなることや、

本当は無いかもしれない『ズレ』みたいなものが

生まれたりする事も、ある、のかも。

*

そもそも、《言葉は虚構だ》っていう話もある中で。

そうだね。

つねに矛盾を孕むのが、言葉の表現、かもしれない。

ほんの一字、で、ニュアンスや意味合いは変わる。

さらに、

ある瞬間、だけでなく、

時間を存在させて、『軌跡』をみた上での表現をするのなら、

尚更、表現というのは・・・という話になってくる。

関わりの数が増えるほどに、も、あるだろう。

いやはや。。

それこそ、この件については【言葉にはしきれない】なぁ。

*

ことばの表現、は、

その瞬間のその人の世界が、垣間見えるように感じる。

目的や意図がクリアなら、または、それらが「無い」場合、

違和感なく入る、かもしれない。

左脳的に理解できない時の違和感、と、

体感としての違和感は、ちがっている。

*

ふと湧いてくるのは。

”腹割って話すなら、とことん、が、必要。” なのかも。

半端、は、きもちわるい。

「真意」と「言っていること」が【合致しているか】は、

大きい、かもしれない。


何か響くものや氣づきなどありましたら、サポートいただけますとうれしいです☺️🌸感謝と豊かさ、しあわせ循環🐈💞をイメージして、使わせていただきます😊🙏🌈🍀✨