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始発電車で向かったヨコハマは長閑な町だった

こういう景色が見たかった!

最近とんとお目にかかれなくなった
”人が居ない景色”。
これを目にした私は胸が湧いた。

これに巡り合ったのはカラスのおかげだ。
カラスよ、ありがとう。
そう心で感謝した。

近所のカラスがだんだん早起きになっている。
この日、時計を見たらまだ3時半。
こんな時間にいったい何をしているのだ。

そう思いながらもう一度眠って
再びカラスの騒ぎに気がつき時計を見たら
それでもまだ4時半だ。

カーテンの隙間から外の薄明るさを確かめて
さてどうしようかと
前の家の屋根で鳴くカラスたちをじっと眺めていた私は
ふいに思い立った。

今なら始発電車に間に合うな。


私は外出することが年々億劫になっている。
年のせいではない。
人混みの度合いがどんどん増している気がして
人の”氣”に当たって疲れるのが嫌なのだ。

そして、人混みでは
景色を堪能することができない。
雄大な山々に囲まれていても
太平洋を臨む海岸にいても
由緒ある建物を前にしても
右を向いても左を向いても人で賑わっている。
ぼんやりしたい私には不向きな状況だ。

穴場という場所は
もうどこにも存在しないような気がしている。
人当たりに尻込みをして
二の足を踏んでばかりいるのだ。
だから出かけなくなった。

人混みでも疲れないのは、夢の国だけだ。
夢の国ではみんなも私も魔法にかかっているから
ニコニコと能天気な空気の中を
ふわふわと歩いていられるのかもしれない。


カラスのおかげでせっかく早起きしたのだから
ヨコハマの朝陽を見にいこう!
こんな時間に人混みのはずはない。

そうして私はみなとみらい線を目指した。

馬車道駅で電車を降り、
大桟橋へと歩き始めて
いきなり感動した。

朝陽に長く延びる影。
それを遮る人影がないのだ。

ヨコハマのキレイな街並みが
朝陽にカーンと照らされている。

まじキレイとか、やばい、とかいう
人の感想がまったく聞こえてこないのもいい。

自分の胸に湧く感動だけを
じっくり味わっていられる。
その感覚が好きだ。


途中でジョギングの人、通勤の人、
犬の散歩の人、
そういう人が行き過ぎる。

そうか、この時間は
近所の人の街に戻っているんだ。
静かな、朝のヨコハマだ。


知っている街なのに違う顔を見たという感動は
知らない街を訪れた旅の朝の新鮮な感動に似ている。

来てよかった、そう思った。


初夏の手前の港の朝は
強く吹く風がまだ冷たくて
眩しい朝陽が暖かく心地よく感じられた。

風に吹かれながら大桟橋を端まで歩いた。
向こうの端まで人が見えない瞬間さえある。
こういうのどかさなら、いつでも出歩きたいのに。


朝6時ごろの山下公園は
近所の人らしき人の輪が
あちらこちらで
話に花を咲かせていた。

体のための早起きなんだろうか。
それとも昼間は落ち着いて話せないから
朝にしましょうね、と
なったのだろうか。

昼間はあんなに観光地だけど、
朝は、住んでいる町、なんだ。
住んでいる人は観光地ヨコハマを
どう感じているのかな。

小鳥が芝生で、地面をつつくように
餌を探している。

大きな犬が寝そべる横で
おじさんがストレッチをしている。

どこを切り取っても
背景に人があふれていない。

こういう景色をどこへ行っても
堪能できたらいいのに。


氷川丸近くのベンチで
持って行ったおにぎりを食べた。

釣り糸を垂れる人と
昇りきった朝陽に波が光っているのとを
ぼんやりと眺めていたら
体が冷え切った。

すっかり堪能して満足した私は
通勤時間帯の混み始めた電車に乗って、
帰宅した。

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