赤ちゃん

近ごろ、私は赤ちゃんに釘づけになる。
エレベーターで、電車の中で、
お店番をしている八百屋さんで。
よその赤ちゃんをジロジロニコニコ見つめる。

”赤ちゃんは、手の中に夢をギュッと握って生まれてくる。
その手を開いた時、握っていた夢が飛び出していく。
その夢をまたつかまえる旅が、人生。”

20年以上も前の子育て時代に、
そんな夢のある話を聞いたことを思い出す。


無垢な表情で笑う赤ちゃんは
オギャアと生まれた時に握ってきた豊かな夢の中にいるのかもしれない。


そして私も、そして誰も彼も、そうやって生まれてきたのだ。


が、しかし。
”人生の旅”って結構大変だ。
暮らすための次元のことがあふれているから、
夢だとか愛おしいだとかは、追いやられてしまうことだってある。
自分の中にそういう豊かな感覚があるってことを、忘れてしまうことだってある。

そして旅の途中では、自分を守るためにたくさんのヴェールを纏って、
いつしかそれはミルフィーユのように何層にもなったりする。


無垢な赤ちゃんは、ミルフィーユじゃない。
余分なヴェールなんて纏う必要もなくて
清らかに、自由に、笑っている。

人には、自分が見たいものを見るという法則がある。
赤ちゃんをやたらに見つめる私は、
自分の中心にも、この赤ちゃんと同じ瞳があることを、きっと確認しているのだ。

私もまた、ミルフィーユじゃない。
そう思いながら、ヴェールをまた一枚脱ごうと決める。


こうして赤ちゃんに釘付けになる理由をあれこれ考えてみたけれど、
実はただ年を重ねて”おばあちゃん”の眼差しになっているだけ、かも。

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