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らしさと偏見

自分のために綴るnote。
年齢不詳は褒め言葉なのか?と数日考えていたyumiigoです。

周りから見える自分像ってなかなか捉えづらいなあと思う。
自らのキャラをプロデュースするということも意識・無意識問わず少なからず誰しもあると思う。

とはいえ私の個人的なありたい姿としては、周りから見えているイメージの自分と、私自身がニュートラルな気持ちで自己表現している形がより一致していたらいいなぁと思う。

友達からもらったプレゼント



昔は、大人の目や友達の目だったり、異性の目がとても気になった。
今思うと自意識過剰なほど、周りからどんな目で見られているのかということが気になりすぎていたと思う。
そんな年頃といえばそうだったのかもしれないけれど。

あの頃は自分が見透かされることが怖くて自分のキャラを演じたかったんだと思う。
手っ取り早い自己防衛策が自己プロデュースだった。

「私はこういうキャラですよ」というのを初対面からはっきり明示してしまえば、周りはそれ以上踏み込んでこない。
自分自身もそのキャラ設定でどんな場面も演じていれば"本当の自分"を守れるし、見せたくない自分を隠すことができる。
その場しのぎとしては自分も楽な方法だった。

見られたい自分を演じられるというのも1つのスキルで、それがうまく出来ずに悩む人も実際は多くいる。

一方でスキルとも思わず普段の生活から呼吸するように振る舞える人もいる。
上手く本来の自分とスイッチを切替えるかのように演じ分けている人もいるかもしれないし、二面性なんか持たずにそれが自分だと信じて疑わない人もいるだろう。
逆に本当の自分となりたい自分との乖離にどんどん自分で手に負えなくなって精神的に辛くなってしまう人もいるかもしれない。

いずれにせよ誰もがこの世界で生きていくための処世術として、様々な形で自分という役を演じていて、それを意識するかしないか、はたまたそういう考え方を真っ向から否定する人もいるのではないかなと思った。

それは別に、明るい人だとか真面目な人だとか、性格面のイメージだけではなくて、役割もそれに近いものがあるのかなと思っている。

例えば、自分の職業としてのイメージだったり、家庭では母親としてのイメージだったり、年齢相応の振る舞いだったり。

最近はジェンダーの問題をよく耳にするのに、何より性別を意識した振る舞いというのが、キャラ設定としては、私の中では長年かなりウエイトが大きかった気がする。

"女らしくあれ"というのはとても厄介な周りから求められる圧に感じた。
結婚や出産の適齢期というものを正論にも思える前提に、若く見えるように綺麗にしてモテを意識していなければというもの。
嫌でも周りからも自分自身からもプレッシャーがかかり続ける。

だからといって私は女らしさが苦手という訳じゃない。
小さな頃から女の子が好むフワフワのドレスもキラキラのアイテムも大好きだった。
オシャレをするのも化粧を丁寧にするのも、料理をするのも私の好きなことの一つだ。
ただそれはあくまで自分のためにしたいことであって、誰かのためではなかった。

時代の流れで色んな偏見を問題視して様々な場面で啓蒙されているとはいえ、個人の偏見は無意識にまで浸透しているので、なかなか自分でも捉えにくい。

私自身も偏見で見られたくないと思いつつ、結局はそういう私自身が偏見を持っているからそれに囚われる。

先日私が会社で「年齢不詳」と言われた、その人の真意は分からないが、とっさに返した私のリアクションは「ありがとうございます」だった。

あとからそのリアクションは自分でも疑問を感じたけれど、まぁ年齢不詳は褒め言葉だという捉え方を瞬時にした私がいたんだから、それはそれでいいかと思った。

「若く見えますね」なんて言われることは色んな場面であれど、社交辞令と本音の違いなんて本当のところは分からない。
人それぞれの感覚だったりその場のノリだったりもするし曖昧なものでしかないんだ。

そんな掴みどころのない周りからの目に長いこと翻弄されてきた私だが、その場で嬉しいなと思った自分がいたならそれはそれでいいじゃないか。

やっと最近になってそんな風にナチュラルな自分で居られるのが1番いいなとおもえるようになってきた。

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