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プロダクトアウトもマーケットインも謙虚にいこうぜ

商品開発においてよく対比される考え方として、「プロダクトアウト」と「マーケットイン」があります。

私の浅い理解ではありますが

プロダクトアウト:供給側の想いを元に商品をつくる
マーケットイン :市場のニーズを元に商品をつくる

という感じでしょうか。

「商品開発」のシーンで言われることが多いワードですが、「商品」を広くとらえればサービスや会社、ビジネスそのものにも当てはまると思います。特に小さな会社では、商品と会社はほぼ一体なので、要するに経営者がどちらの考え方に軸足を置いてビジネスを考えているかという「発想の原則」みたいなものを表現していると思うのです。

で、乱暴な話ですが、これってどちらが正解なんでしょう?

おそらく双方の言い分としては、

まずはこちら側のつくりたいという情熱が必要だし、想いがなければはじまらない。
作り手がこだわりをもっていいものをつくり続けていれば、いつか必ず顧客に通じる!

いやいや、商品をつくる以上、買い手の存在がなければいけない。
市場調査や競合調査を綿密にやって確実に需要がある商品をつくらなければ単なるひとりよがりだ!

というような議論が起きそうな想像ができます。

事例をたどれば、プロダクトアウトで成功してる会社や商品もあるでしょうし、マーケットインで成功した会社や商品もあるはずです。また、優等生的なことを言えば、どちらの発想も大事です。何事もどちらかに大きく偏っていいことはあまりありません。

ですが、正直なところ、実際にいろんな経営者にお会いしてみると、皆さんすでにどちらかに偏っていることが多く、考え方のクセのようなものがあります。これはそうそう簡単にはひっくり返ることはなさそうです。経営者たる方々の、自我の強さや信念の強さを思い知らされますが、そんなわけなので、この人達に今さらどちらが正解だとか、バランスよくとか言ってもあまり意味が無いのかな、という気がします。

なので、あえて両極端な人を念頭に置きながら、それぞれどういう強みがあり、どういう落とし穴と対処法があるのか考えてみました。

プロダクトアウトの可能性

一般的に、わりと分が悪いのはプロダクトアウトでしょう。なんとなく「感覚的」で「思いつき」と紙一重な印象もありますし、個人の好みやこだわりで商売がうまくいくわけない!という主張をされたら理がある気がします。経営者ならそれでも強引にやってみて結果を出す人もいるかもしれませんが、企業の一社員だったら少なくとも「ボクはこれがやりたいんです!」だけでは稟議は通りません。企画会議なら「お前がやりたいだけだろう」と一蹴される場面が容易に想像できます。それだけ失敗事例も多いということでしょう。

ただ、これからの時代はプロダクトアウトは侮れない、というのが私の考えです。

人々の好みやライフスタイルが多様化・細分化している現代において、生半可な市場分析をしても答えはなかなか見えません。まだ顕在化していないニーズを探り当てようとするなら尚更です。人は「欲しいものはなんですか?」と聞かれても、知っているものの中からしか答えることはできないので、今ここにないものに対して「ほしい」という声はあがりません。そんななかでも新たなニーズを掘り当てるには、案外、個人のこだわりや勘だったりします。しかも膨大なデータを並べてああでもないこうでもないと議論するよりも、感覚的に「これ!」と決めてしまうのが圧倒的に早い。物事が猛スピードで動いている時代には、その早さこそが競争力になる場合もあります。

プロダクトアウトの危険性

とは言いながら、プロダクトアウトが失敗を生むことが多いのも事実で、それは内容がとても断片的なことが多いからだと思っています。プロダクトアウトでものを考える人は、概して本人の脳内に具体的なビジョンが細部にいたるまで湧き上がるように描かれていて、さらに、それを実際にやらずにはいられない情熱に突き動かされている、という特徴があります。なので「こんな商品をつくりたい!」とか「こんな人に向けて売る!」だけではなく、「こんなビジュアルで」とか「こんなキャッチコピーで」など細部にいたるまで次々と思いつきを繰り出してしまう場合が多々あります。ただ、その全てが的確に時代の潜在的ニーズを捉えているとは限りません。例えば1泊5000円のホテルなのに1食20000円もする食事の提供はそぐわないように、それぞれの目の付け所はよくても、細部となると一貫性を欠いていたり、コストがかかりすぎたり、そもそも実現不可能な想像も含まれているかもしれません。思いつき同士をつなぎ合わせてしまうと、とてもチグハグなものが出来上がります。これではビジネス全体は機能しません。

プロダクトアウトのリスク回避

こんな時に大切なのは、「ほら、これだから思いつき派は…」ではなく、プロダクトアウトででてくる着眼点の面白さや発想の新しさをうまく利用しつつ、単なる思いつきに終わらせないことです。そのためにポイントとなるのは、「プロダクトアウトは軸だけに留めること」です。

本人の脳内に湧き出しているイメージをいきなりすべて実施しようとせず、まずやりたいことの軸となる本質はなんなのか、そこさえ抑えたら、細部はいったん置いておいてロジカルに詰めていく、ということをオススメします。ホテルだったら、ターゲットやコンセプトという中核部分だけを押さえ、その先はあえて封印し、食事は?デザインは?価格帯は?といった細部は事業規模や予算感も考慮しながら理屈で設計していくという感じです。

実際にプロダクトアウト派の経営者で、上手くいっている人、失敗している人を観察していると、違いはこの「封印」ができるかどうか、もっと言えば、自分の考えに対して一定の範囲から先を封印できる「謙虚さ」があるかないかにあります。上手くいっている人は、いろいろ思いついたとしても、あくまで自分が経営の初心者であるとか、思いつきで他人を振り回してしまった過去があるといった理由で、必ず周囲に相談をします。そして周囲の賛同を得られたから実行する、細部を軌道修正する、コストは最小限に留めておく、といったリスク回避行動をとっています。一方失敗している人は、周囲のアドバイスを聞かず我が道を突き進んでしまいます。残酷ですが、こういう失敗は結果がでるのも早いので、早々に挫折をすることになります。逆に言えば取り返しのつかないところまでいく前に挫折するので、ある意味では不幸中の幸いと言えるかもしれませんが。

もし自分自身がプロダクトアウト派だと自覚のある経営者なら、失敗のリスクに対する謙虚さをもち、反対意見にも真摯に耳を傾けることをおすすめします。また、もし自分の上司や仕事仲間がプロダクトアウト派で、今後も着いていくかを見極めるなら、この謙虚さをもっているか、で判断してください。

マーケットインの落とし穴

一方、わりと正解とされているのはマーケットインのほうでしょう。そもそも、いわゆる経営学で学ぶことのほとんどがマーケットインの手法です。市場調査、統計学、ロジカルシンキングなどなどの手法を使い、どんなものが今ニーズがあるのか、売れるのかを探っていきます。基本的に理論によって貫かれるので、他人にも理解されやすいですし、抜け漏れも少ない。よほど不測の事態が起きない限り大失敗はなさそうです。企業で評価されやすいのもこちらのタイプ。

ただ、ここには意外な落とし穴があるのでは、と私は思っています。

まず、上述したように、今の時代に理論的にニーズを探り当てることが本当にできるのか?という課題です。誰もが洗濯機やマイカーを持ちたがっていた時代と違い、人の好みやライフスタイルはかなり多様化しています。情報も無限に増えています。その中で、理論だけで、確実に成功する商品にたどり着くのはかなり難しいのではないかと感じます。

そしてもうひとつの大きな課題が、理論的にたどり着ける答えには、誰でもたどり着けるということです。これからの時代ならAIが先にたどり着いているかもしれません。となると、理論からでは差別化を生むのは難しく、つまり、激しい競争や価格競争にさらされるということです。資本力や知名度がない場合、そのなかで勝負を挑むのはなかなか苦しい戦いになるでしょう。これは、それなりに理屈が通ってる分、人の協力や融資なども受けやすく、一定のところまでは成功を収める可能性があることがむしろリスクで、かえってやばいと気づいた時にはすでに取り返しのつかないところまで手を広げてしまっていた…という一見思いつきでやっているように見えるプロダクトアウトな人よりも実は根の深い失敗パターンなのではないかと感じています。

じゃあどうしたらいいのでしょう!!??

マーケットインの打開策

私が考えるマーケットインの落とし穴から抜け出す方法は、実はプロダクトアウト派の行動をとことん観察することです。

まず、マーケットインの人々のやや悪いクセとして、プロダクトアウトな人を侮りがちです。たしかにどこの教科書を開いても、どこの専門家の話を聞いても、「直感でいけ」「感覚でとらえろ」とは言いません。ただ、理論でたどりつけない、言い換えればAIではたどり着けない領域にいけるのは、これからの時代、人間に残された貴重な能力です。一見思いつきのようでも、彼らが発想することに価値があるということを認めましょう。

そして、そんな直感的で感覚的で「やりたいことをやっただけ」なプロダクトアウトな人達をよく観察してみると、実は、彼らが決して思いつき「だけ」ではないことが見えてきます。彼らは、なにもないところから突然アイディアを生み出しているわけではなく、本人に自覚があるかないかは別として、実は普段から膨大な情報に触れ、膨大な経験を蓄積しています。その集合体のなかから、浮かび上がらせるようになのか空から降りてくるようになのかはわかりませんが、気がついたら答えに導きだしています。それは、さながらビッグデータやAIを駆使したコンピューターのようでもあり、つまり、実は彼らが脳内で行っていることは、実はマーケティングの理論に適った調査のさらに細かいレベルの情緒的なセグメントのマーケティングである、と解釈することもできるのです。「肌感覚のマーケティング」とでもいうのでしょうか。めんどくさい表現をすれば「メタモルフォーゼ」というか。

プロダクトアウトとマーケットインの接点

わかりやすい事例になるかわかりませんが、よくミュージシャンが「どうやって作曲するんですか?」と聞かれて「降りてくる」と言う人がいます。アーティスト気質な人に多いかもしれませんが、こういう人たちはよく「天才」と評されます。ですが、そもそも彼らのほとんどは子供の頃から音楽が大好きで莫大な量の音楽を聴いています。その経験が体に蓄積されて、熟成された結果として音楽が生まれてくるわけで、本人たちは空から降りてくる感覚かもしれませんが、実際には確実に彼らの記憶から生まれているはずです。だから彼らは彼らごとの独特な旋律や個性を持っていながら、生きてきた時代性を反映させることができるのです。

似たようなことは、マーケティングが複雑に絡み合いまくった若い女性向けの雑誌なんかを覗いてみてもわかるかもしれません。例えば女性向けのファッション誌を見ていると、一口に「女性」「30代」といったカテゴライズだけでなく、「仕事はバリバリとこなすけれど、女性らしさは失わない、銀座あたりに出没する。使ってるSNSはfacebookとInstagram。一見なんでも器用にこなしそうで、デキるイメージだけど実はひとりになるとベタな恋愛ドラマを見て泣いている。」だとか「家族と過ごす時間が一番大切だけど、いつまでも綺麗なママでいたい。よく行くのは二子玉川。SNSはもっぱらInstagram。子供の写真が中心。情報収集程度にtwitterも使います。旦那は外資系にお勤め」だとか、それはそれは細かいターゲット像を設定しています。これによって消費者は「これこそ私のための雑誌だ!」と共感し、読むべき雑誌を手に取れるのです。これは、マーケティングの分野ではペルソナマーケティングや、嗜好や行動特性まで分類するセグメンテーションに基づくものですが、ではこのレベルの細かいセグメント分けを、編集者の皆さんは市場調査だけでやっているかというとそんなことはなくて、多分に感覚的、直感的にやっているはずです。むしろそうでないと、毎月全ページにわたる企画や商品の選定をこなしていくことなどできません。その代わり、基本的に雑誌の編集長はターゲットど真ん中の性別や年齢層の方がアサインされることがほとんどで、つまり読者が欲する情報を浴びてきた人たち、言い換えれば「同時代性」を武器に仕事をしているということです。

つまり、プロダクトアウト派も、よくよく観察してみると、非常に深いレベルでのマーケティングをしている、ということです。ただし、それが同時代に生きる同世代だったり、興味をもって情報に触れてきたからこそで、本人のなかにマーケティングをしている自覚はないかもしれません。また本人に説明を求めても、なぜその答えにたどり着いたのか上手に説明はしてもらえないかもしれません。でも、それは確実にマーケティング理論でも語られていることです。むしろ、誰よりも深く細かくマーケティングを行なっているとも言えるのです。あまりに深く細かいからこそ、上手に言葉で説明できないのかもしれません。

結局のところカギは「謙虚さ」

「プロダクトアウト派は実は肌感覚でマーケティングをしている」ということが理解できると、自分はマーケットイン派と自認する人は謙虚にならざるを得ません。プロダクトアウト派の言うことが理解できないということは、自分はまだまだ彼らに比べてサンプル数が少ない可能性があるということなのです。彼らのように肌感覚でとらえることができない分、もっと多くのサンプルにあたり、情報を整理し、傾向を導きだす必要があります。でもそれができるようになれば、最強のマーケッターになれます。

「謙虚」というのは、私が二の腕にタトゥーを彫りたいくらい、ビジネスで重要だと思っている要素ですが、結局どこまで行っても、人を成長させるのはそこだと思います。自分自身を省みるのももちろんですが、ビジネスパートナーや部下や経営者を選ぶときには、ぜひ参考にしてください。


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