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せっかくだからラグビーから組織を学ぼう #2

2019年。まだコロナの足音も一切聞こえぬ頃。
日本はラグビーW杯に熱狂しました。
その時をきっかけにラグビーにハマった友人、興味をもっと友人が増えて、長年孤独に応援していた私としてはとても嬉しい出来事でした。
そのまさにラグビーW杯2019が開かれていた頃に、とあるサイトにラグビーから組織づくりを学ぶという切り口で記事を書いたことを思い出しました。事情により元のサイトでは読めなくなってしまったので、時間軸がおかしいところを修正し、掲載してみます。

主体性

ラグビーの試合をTVなどで見る機会があったらぜひ注目してもらいたいことがあるのですが、それは試合中に監督がいる位置です。

多くのスポーツでは、監督は選手から見える位置にいてサインや指示を送っていますが、ラグビーの場合は、監督は観客席のはるか上のほう、実況席のようなところにいます。

ワールドカップなどではチームごとに専用ブースが用意されているようですが、会場によっては完全に観客に溶け込んでいるときもあり、選手からは確実に姿は見えません。(話題になったドラマ「ノーサイド・ゲーム」を見ていた方は、監督役の大谷亮平さんが観客席にいるのが気になった人もいるのでは。)

これには、「試合は選手のもの」という大原則があるためで、得点に絡む大事なプレーの選択でも、必ずキャプテンがおこなうことになっています。最近はインカムでグラウンド横のスタッフに指示することができるので、監督によってはあれこれ伝えているようですが、一般的には指示しているのはおおむね選手交代程度のようです。

このあたりの監督と選手の関係性はスポーツの成り立ちによっても特徴があるようで、ラグビーと近いのはサッカーです。どちらもイングランド生まれで元は同じ競技だったこともあり、ルールもわりと似てます。サッカーの監督もピッチの横で必死に叫んではいますが、聞こえて…...ないですよね。

一方でよく比較されるのは、野球やアメフトなどアメリカ生まれのスポーツ。

こちらは明確に攻守が分かれていてその都度時間があるので、監督がかなり具体的な指示をだします。 野球では一球ごとにサインを出したりしていますよね。

アメフトにいたっては、ラグビーと混同されることもよくあるのですが、ボールの形以外は全く違うスポーツと思えるほど本質的な違いがあります。

そのあたり、スポーツごとに組織のあり方にも影響があったりして面白いので、いずれ書けたらいいなぁ。

話を戻しますが、ラグビーは試合中に監督が指示を出さず、なおかつ得点にからむ重要な選択を迫られることも多いとなると、勝つために重要なのは、試合中にいかに選手たちが自分たちで判断できるか、ということになります。

そのためには、練習の段階から主体的にラグビーに取り組み、戦術を考え、意見が言える能力が必要になります。

ただ、そうはいってもそこは日本の体育会系運動部。上意下達は当たり前。選手は口ごたえNG。監督の指示どおりに練習をこなし、試合でも事前に指示された戦術を遂行する、というのは一般的だったと思います。

そんな状況に変化が生まれてきたのはここ10年くらいではないでしょうか(といっても私も最近になっていろいろ勉強してわかったのですが)。

大学ラグビーの常識を変えたーー帝京大学・岩出雅之監督

大学選手権で前人未到の9連覇を果たした帝京大学は、岩出監督のチーム改革が話題になりました。

例えば、通常は下級生がやる雑用を上級生の担当にし、学年による"主従"のような関係を撤廃しました。

練習後、4年生が道具を片付けている横を1年生が寮に帰っていくのは当たり前で、試合に出かけていくときの正装のワイシャツは、1年生の分も上級生がアイロンをかけて用意するそうです。

これは、一度でも"体育会系"を経験した人なら信じられない光景ではないでしょうか。

その目的は

• 大学生活にまだ慣れない1年の負担を軽くし、考える余裕を与える

• 先輩への感謝の気持ちをもたせ学年関係なくチームを一体化する

• 意見を言いやすい環境をつくり、選手の能力を最大限に引き出す といったことがあげられます。

そして、練習中に何か起きるとすぐに動きを止め、周りの人(なるべく学年を横断するというルールもある)と話し合う時間をとるのも彼らのスタイルです。

ちなみに彼らの自主的な行動は「ラグビーを通したキャリアビジョン」にまで及び、3年生を中心に1年生に対して「どんな社会人になりたいか」「ラグビーを通してどんな人間になりたいか」まで考えさせるそうです。

帝京大学ラグビー部といういかにも体育会系っぽい組織が、実はまったく体育会系っぽくないというのは、なかなか面白いことだと思います。

 参考:『常勝集団のプリンシプル 自ら学び成長する人材が育つ「岩出式」心のマネジメント』岩出雅之著/日経BP/2018年3月1日発行

背景にある変化と、社会との共通点


このような組織の変化が起きた背景のひとつは、学生たちが平成生まれのいわゆる"今どきの学生"になったことです。

彼らは怒られることに慣れていないし、有無を言わさぬ上からの指示には反発心を覚えます。

そのせいで退部してしまったり、先輩たちを心から応援しないようでは、チームとしては戦力ダウンです。

ただし、個人的にはこれって今の学生に限ったことではないと思います。

山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉は有名ですが、つまり昔から人は納得しないことはやりたくないし、無理やりやっても効果は限定的だったということなんじゃないでしょうか。

改革の背景のもうひとつは、ラグビーという競技が世界的に進化し、スピードも早く戦術も難しくなっている状況にあって、ひとりの監督やコーチが考え、一方的に指示を送る体制では勝つことに限界が見えてきた、という事情です。

監督やコーチの限界を超えて、選手ひとりひとりのチカラを最大限まで引き出し活用しなければ、試合に勝てなくなったのです。

ラグビーのように試合において選手の裁量がもともと高いスポーツにおいては、選手の咄嗟の判断能力の差が、他のスポーツに比べても顕著に結果に出るようになったということだと思います。

これらは日本の企業が置かれてる状況とも共通するのではないでしょうか。

人口減少、グローバル化、市場の飽和など、企業が置かれてる環境は確実に厳しくなっています。

そのなかで一部の経営者だけが考え指示する体制では、その戦術には限界があります。

"今どきの若手"も含めた従業員全員のチカラを最大限活用し、最適で新たな戦術を次々とスピーディに繰り出せる組織にする必要があります。

そうはいっても具体的になにをすれば?…という時にラグビーの常勝チームに学ぶことはとても効率的だと思います。 まして、学校スポーツは企業が新入社員を抱える何年も前からその学生達と接しているのですから。

日本代表でも悩んでいた--エディJAPANとジェイミーJAPAN 


トップレベルの選手が集まる代表チームでも、前監督のエディ・ジョーンズに言わせれば「日本人は主体性がない」だったそうです。

その代わり彼は「でも日本人は言われたことを愚直に遂行する」として、ひたすらにハードワークを課しました。

試合中も、おそらくインカムごしにかなり細かい指示を送っていたと思います。

その選手たちが、監督を超えて”自走”した瞬間とされるのが、あの2015年W杯で南アフリカに逆転したシーンです。

終了間際のラストプレーで、ペナルティキックで3点を獲得し同点とするか、あくまでトライで5点を狙うかの選択を迫られ、エディはインカムごしにキックを狙うように指示していましたが、選手達の判断でスクラムを選びました。

いろんなインタビューから読み解くには、とんでもなくキツいトレーニングをしてきて、今さら引き分けなんて絶対にイヤ!というのが選手たちの共通の意見だったことと、これまでのエディ監督の徹底した分析に基づいたトレーニングや戦術に培われた「自分達にはできる」という確固たる自信があったのだと思います。

エディ監督は指示を無視されて、その場では通訳さんの胸ぐらを掴んでいたそうですが…でも、この究極の局面においてエディ監督が望んでいた選手たちの主体性が開花したことは、心底喜んでいたとも伝えられています。

現在の監督ジェイミー・ジョセフは、当初から選手の主体的な判断を求めていたようです。

戦術も、より選手の個々の瞬間的な判断が求められるスタイルになりました。

世界のラグビーは刻一刻と進化していることに加え、エディジャパンが実現できなかったベスト8を果たすには、さらに一段階上のレベルにいく必要があると考えたのだと思います。

ただ、エディ流に手応えを感じていた選手からすれば、反発や戸惑いもあったようです。

実際、2019W杯前のテストマッチを観ていても、個々のフィジカルは上がっているし、いろいろと試そうとしていることは理解できるとしても、戦力は噛み合っているのか、いまいち確信が持てない試合もいくつかありました。

W杯直前に放送されたドキュメンタリー番組を観た限りでは、今のチームが"自走"できるようになったのは、開幕2ヶ月前のテストマッチ頃のようです。

たしかに試合を見ていても、この試合ではじめて、選手たちは自分たちで戦術を変更し、エディ流でもジェイミー流でもない独自の戦い方をし始めた印象があります。

きっかけになったのは、キツイ合宿を乗り越えたことで選手間に一体感が生まれていたことや、強いリーダーシップを持っていたリーチマイケルが怪我で長く戦列を離れたことで、他の選手たちにリーダーとしての自覚が芽生えたことがあったこと。

2019W杯で快進撃を演じた日本代表ですが、複数のオプションを臨機応変に選択し、なおかつどの選手がでても一貫性をもって戦っている姿は、確実に前回大会から進化した点だと、どの解説者も口にしています。もちろん私もそう思います。

参考:『エディー・ジョーンズ 異端の指揮官』マイク コールマン著 高橋紹子訳/東洋館出版/2019年10月4日

参考:ジェイミーとエディーはここが違う!ラグビー日本代表総監督の素顔


企業との共通点

こうしてみてみると、日本のトップクラスの選手たちでさえ、主体性をもって組織が動き出すには、さまざまなきっかけや環境が必要ということがわかります。

「主体性をもって!」などと声高に叫ぶだけでは、到底実現することはできないのです。まして、「現場に任せる」と言っておきながら細部に口を出したり、ある時突然ハシゴを外すように現場を任せても逆効果です。

理論や分析に裏打ちされたトレーニング方法や費やした時間、そこから手応えを得ることが自信の糧となり、主体性を発揮する機会やきっかけが必要なのです。

部下にもっと自走してもらいたい!とお考えの上司の皆さん、来年の採用にはラグビー部出身者を…ではなく、ラグビーに学ぶ具体的な組織改革、学んでみてください。

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