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真の評価者は誰だ

頑張っているのに報われない?
欲しいのは地位か名誉か勲章か
それとも金が欲しいのか
他人と比べての評価をうんぬん言う前に
喜ばせなければならない相手が誰なのか
胸に手を当ててよく考えるがよい
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
春の人事異動に起因して起こる悲喜こもごもからたくさんの話題を提供してきましたが、ずっともやもやしているのは私たち公務員の「評価」の話。
頑張った人が報われない。
昇任や希望所属への異動がかなうのは一部の人だけ。
卓越した能力や熱い情熱で成果を上げても属人的だと揶揄される。
私たち公務員の働きぶりはどうすれば正当に「評価」されるのか、掘り下げれば掘り下げるほど深い沼に足を取られ、身動きが取れなくなってきました。
と言いつつ、ここで私は重大なことに気づきました。
私たちの働きぶりは、なぜ「評価」を受けないといけないのでしょうか。
私たちは誰に「評価」を受けるために働いているのでしょうか。
仕事における「評価」が何のために行われていて、私たちはその「評価」を仕事にどう生かしていくべきなのか、改めて考えてみたいと思います。
 
私たちは通常、人事評価として「能力」と「実績」を評価されています。
「能力」の評価を受けるというのは、私たち職員一人一人が異なる個性、能力を持つことを前提に、組織において期待する各職位の標準的な能力と比べてどれだけバランスよく備わっているかを比較評価するものです。
職位、職責に応じて期待される「能力」は異なり、毎年行われる勤務評定でも係員と係長、課長では項目が異なります。
「能力」の評価は、組織の論理で言えば二つの目的があります。
一つは、個人の能力開発のモチベーションを付与すること。
組織の標準と比較しての優劣(他人との比較ではない)を上司から告げられ自らの長所短所を理解することで、自ら長所を伸ばし短所を改めること、すなわち自己の成長促進を期待しての行為とみることができます。
標準以下の項目があってもそれは人間の得手不得手の世界ですからレーダーチャートの凸凹は個性の現れ。
長所が短所を補えばいいし、そういう個性のバランスを考えたチーム編成にするとか、組織の業務内容、特性に応じた人事配置の案をつくる際に参考とされる情報にすぎません。
私たちは、組織に必要な能力を備えることを期待され、その努力と成果を評価されフィードバックを受けることで、より組織に求められる人材になっていくのです。
 
ところがこの能力評価は、組織の論理ではもう一つの目的を持っています。
異動や昇任といった「配置管理」への活用です。
異動させるか残すか、異動させるならどういうところに行かせたいか。
昇任を推薦すべきかどうか。推薦の理由は。他の推薦対象者とのバランスは。
しかしあえて言わせてもらえば、異動や昇任は人事課が行うパズルの結果。
上位の職位や希望する異動先で職責を全うする能力があると上司が評価しても、実際の昇任や異動につながるかどうかはポストの空き状況とポストが求める能力や人物像次第です。
昇任については能力を確認するために試験を実施している自治体も数多くありますが、試験に合格することと実際に昇任することが同義でないという運用はよく聞く話です。
人事課が昇任や異動の原案を作成する際に職場における本人の能力評価が参考とされるという事実は否めませんが、すべての職員の毎年度の評価結果を人事異動や昇任で反映することは不可能であるとの前提に立ち、「評価」は配置管理に活用されているが、それは評価の結果ではないと受け止めなければならないと私は思います。

もう一つの評価の要素である「実績」はもっとわかりやすいものです。
仕事の成果が達成すべき到達点に至った者が誉められ、そうでない者は誉められない。
こんなにわかりやすいはずなのに、私たちはその「評価」に満足が得られないと嘆きますが、その理由は簡単なこと。
仕事は学校のテストとは違うというだけのことです。
私たちは小さなころから学校でテストの成績を競ってきました。
出題範囲があらかじめわかっているものあれば、実力テストと称してこれまでの学習成果全般の理解度を試されるものもありました。
テストの成績が良ければ誉められ、悪ければもっと頑張れと言われて育ち、その優劣で進学の選択が異なり、それが将来の職業選択にも影響してきました。
しかし社会は学校とは違い、みんな異なる仕事を与えられ、それぞれの仕事で達成すべき目標を目指し、その成果を出すのに日々奮闘する。
同じ問題、同じレベルのテストを受けているわけではないのですから、その結果で他人と優劣を競うことができるはずがない。
私たち公務員の「実績」評価については、職場や担当する業務、またその職位によって期待される成果が異なり、それを達成できたかという評価の基準も千差万別。
与えられた仕事について自分がその求められるレベルの成果を出せたかどうかを競うのは他人ではなく自分自身でしかないのです。
最近では、公務員の世界でも実績に応じてボーナスに若干のご褒美がつく仕組みが導入されていますが、それは他人との比較による成果褒賞ではありません。
利益分配を行うわけではない我々公務員の世界では、「実績」を評価することは成果を出すことを意識した仕事のやり方を心がけるようにという業務指導と、「よくできました」と誉めることで職員のモチベーションを向上させる狙いがあると私は受け止めています。
 
さて、私たちはなぜ「評価」されたいのでしょうか。
組織の求める人材として自分を高めたいから?
異動や昇任などの配置管理を有利に進めたいから?
私はこの手の組織側の論理に基づく「能力」評価にはあまり魅力を感じません。
仕事はやはり「実績」評価。
自分に与えられた仕事を求められるレベルでやり遂げることは職業人として当然のことですし、それができていなければ叱咤激励を受け、期待以上の水準であれば大きな声で誉めてほしい。
その際に求めるのは、別にお金や表彰、あるいは異動や昇任で有利な配慮をしてもらうことではありません。
私が欲しいのはただ一つ。
私が成果を出したことを認め、ほめてほしい。それだけです。
ほめてもらうのは上司である場合が多いですが、私の場合は違います。
一緒に働いた仲間から「一緒に働けて良かった」と言われること。
目の前の市民から「あなたに担当してもらってよかった」と言われること。
仕事で触れ合う多くの人からどれだけ「ありがとう」と感謝の気持ちを示してもらえるかどうかだけがすべてだと思っています。
というわけで私は、仕事で接する市民から、職場の多くの仲間から、仕事で関係を持ちご協力いただく方々から「ありがとう」と言ってもらえることを日々の目標とし、逆にすべての方々に「ありがとう」と言うようにしています。
 
これはあくまでも私なりの整理です。
皆さんは、誰に、いつ、何を、どのように「評価」してほしいですか?
頑張ったことが報われないというのは、その「評価」への期待と何がどうずれているのでしょうか。
それは本当に求めるべき相手への「評価」なのでしょうか。
自分は「評価」のために働いているのか。
誰から褒められたくて、どのように認められたくて働いているのか。
もう一度よく考えてみてください。
 
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