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プライドを捨てるとき

財政課ってのは気楽な稼業だよなあ
人の仕事にケチつけて赤ペン入れてあとは現場にお任せ
その判断が間違っていても責任の取りようもないわけだからな
#ジブリで学ぶ自治体財政

前回ご紹介した,私の担当する部局の産業振興の取り組みについての査定の話ですが,10年経って今,当時の査定がどうだったのか考えてみました。
当時,私なりにそれまでの取り組みや成果をもとに取捨選択したつもりでしたが,結局私が選んで残したものも実りはありませんでした。
前回は美談のように書きましたが,実際のところ,私の査定も大したものではなかったということです。

そう思って改めて,自分が財政課の係長時代,課長時代にどんな査定をしたか,それがその後の福岡市政にどう影響しているかを振り返ってみると,これが本当にお恥ずかしい話で,個別の施策事業に関する査定というのはかなり反省すべき点ばかり。
係長時代,かなりイケイケで担当局を論破してきた私ですが,良かれと思って査定で認めたものがその後十分に成果を発揮できなかったものは数多く,逆に「この事業は俺が査定したからうまくいったんだ」というようなものはほぼ見当たりません。
私が予算査定で関わってきた施策事業で,今,福岡市を牽引する代表的な施策事業になっているものもたくさんありますが,そのほとんどは最終的に予算を要求した担当課の熱意と企画構想力,そして実現に向けた調整力のなせる業だとつくづく感じます。
そう考えると,いくら財政課だからと言って未来を見通して適切な事業内容に誘導するような力量なんて実はないということを思い知らされ,当時抱いていた財政係長としてのプライドも完全に打ちひしがれてしまいます。
それなのに財政課が一件査定で個別の施策事業に入り込み,箸の上げ下げにいちいち首を突っ込むのってどうだったんだろうなあと改めて思ってしまいました。

一方で,自分が財政課にいたときに成し遂げたこととして思い出深いのは,やはり財政健全化の取り組みをきちんと進めることができたこと,政策推進に必要な財源を確保するために優先順位の低い事業を見直すことができたことです。
市債残高を減らすことができたことや,財政調整基金をきちんと貯めることができたことも自分なりに頑張って成果を遺せたことだと思います。
しかし,これは個別の施策事業の査定に入り込むことで達成できたわけではなく,政策推進と財政健全化の関連性を財源フレームの中で整理したことや,そのフレームを元に予算編成の手法改革に取り組んだこと,その中で市債発行の抑制や財源対策に積極的に取り組んだことで実現できたわけで,そう考えると私が財政課で果たした使命というのは,個々の事業の内容に切り込んで精査することではなく,全体を調整するための枠組みの管理だったということが改めてよくわかります。

先日書きましたが,財政課たたき上げの財政部長,財政課長が全ての権限を取り仕切り,すべてのことを財政課が決めるのが組織文化として色濃く根付いている自治体で,どうすれば枠配分予算の導入に踏み切れるのか,という問題をどう解決するか,この視点で考えてみました。
まず,過去に財政課が取り仕切り,一件ずつ査定してきた結果をきちんと自己評価してみたらいいと思うんです。
もちろん,うまくいっているものもあるでしょうが,うまくいっていないもののあるはずなので,その個々の事業の成否に,財政課の査定がどの程度影響し,貢献したか,財政課の皆さんあるいはそのOBが自分の胸に手を当てて考えてみたらわかるのではないでしょうか。
そのうえで,全体調整の枠組み管理と個別の事業費査定を両方とも財政課で抱え込むことのメリットとデメリットをきちんと比較してみたらいいんです。

全体のフレームは,財政課で束ねて調整する方がいいに決まっています。
しかし,個別の事業内容については財政課が査定するよりも,たとえ十分に予算が計上されなくても事業に精通した現場のほうが与えられた裁量の範囲でより効果的な事業実施に取り組むことができるのではないか。
裁量を与えたほうが現場での創意工夫が進み,モチベーションも維持でき,市民への説得力も増すのではないか。
現場に任せると何をしでかすかわからないという不信も,経験を積ませ,財政課やその経験を持った者がサポートすることで払しょくできるのではないか。
さらには,現場に裁量を委ねることで予算編成時に内部の事務作業で費やされる時間と労力が削減でき,働き方改革にも資するのではないか。
そうやって,現場でできることを現場に委ねることで,本当に大事なこと,予算編成において議論すべきことに時間と労力を割くことができ,よりよい政策判断ができると私は思うのです。

以前投稿した「できていないことを悟る」でこう書きました。


これだけのことがわかっていながら財政課が動けないのはなぜか。
言葉は悪いですが,組織の自律経営を阻むのは財政課の自負,プライドです。
財政運営については,財政課が最終的な責任を取らなければいけないと考えるその自負は素晴らしいと思いますし,その自負がなければあれだけの激務をこなせるはずがありません。
しかしその自負,プライドが邪魔をして,現場に任せるよりも財政課で判断したほうがよい,現場に任せるわけにいかないという驕り,あるいは枠配分予算を導入することが財政課の使命の放棄だとの批判や枠配分予算がうまくいかなかったときの非難への怖れから来る,枠配分予算で絶対的な正解を導くことができる,導かねばならないという過信と重圧から,枠配分予算の前提となる組織の自律経営,現場を信じて委ねるという思想に舵を切ることができないのです,と。

個々の事務事業の査定で絶対的な正解を導かねばならないという財政課の重圧は大変なものがありますが,私は課長当時でもそんなことはできないと自分自身の非力を悟っていましたし,イケイケだった係長時代の査定を10年経って振り返ってみたときに,やはりそんなに思うほどできていなかった自分に気づきます。
全国の財政課の皆さんも自分の胸に手を当てて考えてみてください。
それでもまだ,財政課での一件査定を続けますか?
続けるとしたら,それはどういう理由ですか?

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