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議論と対話と雑談と

「対話が大事なのはわかるけど,対話では物事は決まらないよね。」
「相手の言うことを「わかるわかる」って言ってるだけじゃ議論が深まらない。」
「仕事を進めるには「議論」こそ必要なのでは?」
私が「対話」の重要性を語る際に時々聴く言葉です。
それは確かにその通り。対話は物事を決める場面で行うことではありません。
しかし「対話」は物事を決めるうえでなくてはならないプロセスだと私は思っています。

意見が対立し,互いの主張がかみ合わないときに,多数決あるいは権限のある者への一任という手段がとられる場合があります。
それは当然「決める」ための手段ですが,そうやって決まった物事を実際に動かすときに,そのことに利害を持つ関係人それぞれが一定の納得感を持ち,当事者意識を持って「決まり」に従って行動することができなければ,「決める」ことの意味が失われてしまいます。
「決める」ことは目的ではなく,決まったことに従い物事を動かすための手法でしかないのです。
そうすると,多数決などの方法で最終的に物事が決まるまでのプロセスが重要になります。
物事を決める背景や目的についてどの程度情報共有ができたのか。
対立する考え方を持つ人たちの立場や考え方をどれだけ理解できたのか。
自分の立場,主張をどれだけ真摯に受け止めてもらえたのか。
そういったことは「議論」によって深められていくという理解が一般的ですが,私は,その議論に入る前に「対話」を置くべきだと思っているのです。

地方自治体のある職場で,ある事業を推進する際に,利害の異なる関係課の課長を集めた会議で議論する場合を考えてみてください。
関係課の課長は自分の課の所掌事務との関係から,問題点や改善すべきことをそれぞれの立場で発言します。
当然,自分の課が不利になるようなことは発言しにくいですし,自分の課の負担が増えるような発言を不用意にしてしまうとその責任を持たされる結論へと導かれるので,発言は慎重に,保守的に,防御的にならざるを得ません。
しかし,それで本当に結論に至ることができるのか,また,その結論は市民あるいは利用者のためにもっともよい結論なのか,関係者が力を合わせて実現していこうという気概を共有できる結論なのかが懸念されます。

そこで「議論」の前に「対話」を置いてみましょう。
「対話」は二つの要素からなっています。
まずは,先入観を持たず,否定も断定もしないで相手の思いを「聴く」。
次に,自分自身の立場の鎧を脱ぎ,心を開いて自分の思いを「語る」。
互いにありのままの思いをぶつけ,それを真正面から受け止めることで,事案の目的や背景に関する情報を共有し,同等に理解することができるだけでなく,関係する当事者がそれぞれ互いの立場を尊重し信頼しあえるかどうかの関係性を確認しあうことができることになります。
その信頼感こそが,意見が対立したときに譲歩し妥協するときの心理的な背景になりますし,導かれた結論への納得性,当事者意識,その結論に従って行動しようという動機づけになると私は考えています。
「対話」はその後に置かれる「議論」の質を高め,結論の実効性を高める役割を果たしているのです。

「対話」を「議論」の前にあらかじめ置く仕組みの例としては,関係者を一堂に会してワールドカフェなどのワークショップを行い,立場や職責を離れて自由に意見を述べてもらう場を設定する方法があります。
これは,事案にまつわる様々な情報を収集することができるだけでなく,関係するもの同士が顔の見える関係になるという効果もあり,私もいろんな場面で活用してきました。
そこで集まった情報やそこで見えた関係者の関係性をもとに事務局として提案する論点整理の案づくりや議論の進め方を設計することで,誰が何を議論して決めるのか,どのようにそれぞれの納得を引き出すかを丁寧に検討することができるので,ぜひやってみていただければと思います。
また,普段からいろんな立場や職責の方々と「対話」しておくことで情報を共有し心理的な距離感を縮めておけば,いつでも「議論」に入れます。
私が財政課長時代はまさに各職場に出向いての財政出前講座がこの「対話」の入り口でしたし,オフサイトミーティングその他の場で公私ともに,官民の垣根を越えてたくさんの方と「対話」していることが,その後何かを一緒にやろうとするときの議論や結論が出た後の行動に大変役に立ったように思います。

そうはいってもある日突然「対話」しましょうと言ってもすぐに「対話」は始まりません。
そこでお勧めしたいのが「雑談」です。
皆さんは,誰と,どんな時に雑談をしますか?
気心の知れた人と,互いにリラックスしているときが多いと思います。
「雑談」は何かの特定のテーマについて真面目に意見を交わすわけではないので,当然,内容はくだらないもの,とりとめもない話が多く,そこで出た話が何かの役に立つわけではありませんが,お互いの心理的な距離を縮めるという効果は常にあります。
いつも雑談をしている間柄であれば,何に関心があるか,何が好きで何が嫌いか,どいうところに興味関心があるか,ある事象に対してどのように受け止め,反応するかという想像は,ある程度できるようになります。
そうやって雑談ができる間柄であれば,少し突っ込んだ真面目なテーマでの「対話」も比較的スムーズに始められるのではないでしょうか。

「議論」の前に「対話」を置く。

「対話」の前に「雑談」を置く。


この実践で,今までうまくいかなかった「議論」がうまくいき,そこで得られた結論に基づいて行動がとられていくはずです。
じゃあ,どうやって「雑談」から「対話」に,あるいは「対話」から「議論」に切り替えていくかが思案のしどころですが,長くなってきたので稿を改めたいと思います。

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