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個人商店と常連客

2012年から8年間,200回以上続く「明日晴れるかな」福岡市のこれからを語るオフサイトミーティングですが,今日は長く続くと必ずつきまとうイメージの払しょくへのこだわりについて。
「いつもの誰か」がいないと成立しない場にはしたくないという話をします。

実は,黎明期においてはオフサイトミーティングを開催するにあたり,発起人の私の都合,ファシリテーターを務めるYさんの都合,そして会議室の空き,この3つがそろわなければ開催しないことにしていました。
発起人がこの場はどんな場所であるかを趣旨説明する,ファシリテーターがグラウンドルールを説明し,安全に対話できる場として進行するということが開催の前提とされていたのです。

しかし,業務都合等によりYさんも私も毎回の参加が難しくなり,特に私は当時財政課長でしたので,11月から2月にかけて本業の予算編成が佳境を迎えればとてもオフサイトミーティングどころではないということが分かっていましたので,私やYさんがいなくても場が作れる,場が回せるようにしようという意識を当初から強く持っていました。

また,対話の場では本来すべての参加者がその場にいることを許される適任者であるという考えもグラウンドルールとして定着していましたので,自然とYさんがいなくても誰かがファシリテーションをするようになり,そのうちに自然と,誰かがファシリテーターとして前に立ったり,対話のルールを明示して司会進行したりしなくても,参加者同士でちゃんとした対話ができるようになっていったのです。

そして,私が来なくなる11月以降は,私から誰かにお願いしたわけでもなく,みんなで役割分担や当番を決めたわけでもないのに,空き会議室を確保して掲示板に掲示し鍵を開ける「鍵開け人」が自然と現れました。
「今日,誰か鍵,開けられる人いますか?」「あー,僕が開けておきますよ」
「今日,私,行けませんけど,来た人にお任せしておきますね」
私は今でも発起人の対場ではありますが,毎回必ず参加しなければいけないという呪縛から解放されましたし,参加される皆さんもそのことを当たり前のこととして受け入れてくれています。

「明日晴れるかな」は私の個人商店の屋号ではありません。
自分がいなくても誰かが「明日晴れるかな」ののれんを掲げ,みんなでその場を守ってくれる,そんな場が自然と出来上がり,8年経った今も守り続けることができているのは本当に幸せなことだと思います。
オフサイトミーティングの開催を陰から支えるために自然発生した「明日晴れるかな」応援団の皆さんに改めて感謝申し上げたいと思います。

そうやって,この対話の場を愛し,支えてくれる応援団が多数いるなかで,私がもう一つ黎明期からこだわっているのは,さっきの話と矛盾するようですが,「明日晴れるかな」応援団メンバーを含め「いつも常連が集まっている」という見方をされたくないということです。
例えば,オフサイトミーティングの告知に際しては「初めての方も久しぶりの方も,どなたもお気軽にお越しください」と書いていますが「常連さん」「いつものメンバー」は禁句です。
本当は,参加される方は,いつも来る人,昔から来ている人といったいわゆる「常連」と,初めての人,日が浅い人,たまにしか来ない人といった「非・常連」に大別されますが,外から見てそのことを意識させないように,あらゆる場面で「同じメンバーが集まっている」感を出さないよう心がけています。

それはなぜかというと,群れを見ると疎外感を感じる人がいるからです。
私自身,常連だけでまとまって,彼らにしかわからないノリや内輪受けで置いてきぼりを食らい,疎外感を味わったことが何度もありますので,自分が常連でない場所に常連がたくさんいたら,そこに行きたくありません。
気心の知れたいつものメンバーで,言わなくてもわかる阿吽の呼吸で通じ合える場は本当に居心地がよいものですが,その濃い人間関係の輪の外側にいる人から見て,その輪の中は居心地がよさそうに見えるでしょうか。
自分が許容されるかどうかが不安で,なかなかその輪に入っていけない方もいるのではないでしょうか。

私たちの対話の場は「すべての人が適任者」がグラウンドルール。
対話の場の居心地は発起人や常連メンバーなどの「いつもの誰か」がいることによって実現されるのではなく,そこに臨む者みんながそれぞれの参加者を尊重し,互いに受容することによって実現されるのだと私は思っています。
だからこそ,個人商店ではない場,常連が我が物顔で闊歩するのではなくすべての人が等しく受け入れられる場を目指したいのです。

このことにこだわり続けて8年。
傍から見ればすっかり発起人である私の個人商店の色がついている,いつも参加している常連のにおいがついているのだろうということはわかっています。
しかし,こだわっていなければ,もっと色濃くその色やにおいが染みついて,初めての人や久しぶりの人がふらりと立ち寄れるような敷居の低い場所になっていなかったのではないか,これだけ長くみんなから愛される場にならなかったのではないか,と思うのです。

今後もあえて,個人商店の色を消し,常連のにおいを消すことで,誰もが等しく受け入れられる場と思ってもらえるよう,このことにこだわり続けたいと思っています。

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