みんなと同じにできない感じ

みんなと同じになりたかったわけじゃない

みんなと同じってなに?
小学生の頃の私はたぶん「浮いてる子」だったけど
母が、「うちの子、浮いてるのよ〜」ととても嬉しそうに話すから
小学生の私は浮いていることは良いことなんだと思っていた。
人からどう見られているかが気になる日もあったけれど
みんなと同じじゃないといけないとは思っていなかった。

そんなことを自覚したのは
この前中学時代の友人と話したから。
中1から高3までずーっと成績1番だった彼女は、小学1年生の時「学校って、普通にしておかないといけない集団なんだな」と思ったらしい。
みんなと同じって何?がわからないから
なるべく自分の意見をいわないように、目立たないようにしていた。とのこと。
でも賢い彼女は大学で気付いたそうだ。
「普通」はない。ひとりひとりがそれぞれ、自分のことを「普通」と思っているだけ。

みんなと同じじゃないことへのざわざわ感

みんなと同じじゃないといけない、と思わなかった私は
自分にとって納得がいく道を歩んでいる。
だけどだけど、そんな私もざわざわする場所がある。
「医局」だ。

べつに、医局の方々が、私に意地悪をするわけではない。
でも、私は「みんなと同じように」医局での研修をやっていない。
医局に職場を決めてもらうこともほぼやっていない。(バイト含め1~2回はあった。)
この点において、私は自分が「医局の人」とレッテルを貼った人たちと交わるときに、ザワザワする。
ザワザワ、というか、「すみませんすみません、勝手をしてすみません」と思ってしまう。

なぜ?

私の独自性をもって貢献できたのかもしれない

ほんとうは、私に内科のキャリアがあることや、様々な社会活動をしていること、自分の興味が他の人と異なる点にあることなどは
医局の人たちに活かしてもらうこともできたのかも知れない。
でも私は、「みんなと同じではない」ことに劣等感を持ってしまったために
うまく貢献できなかった。
振り返ると、この劣等感、なにひとついいことはない。
私がいることで、その集団がおもしろくなることは、全然可能だ。

てことで、もうちょっと自信をもって歩いて行こう。

「医局の人」たち、レッテル貼りしてごめんなさい。これからは、あなた達は私のことを面白がってくれる人たちだと信じることにします。これからもよろしくです。



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