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ふくらむ時間(2003年)

 十六歳の時に短歌を作り始めてから十年間、ずっと新仮名遣いを用いていた。昨年八月に出版した第一歌集『草の栞』は、だからすべて新仮名遣いによる歌集である。意識的に選んだわけではなく、当初それが自分にとって自然だったからだ。古典の時間に習う歴史的仮名遣いが、自分を表現するのに都合の良いものとは思えなかった。
 ところがここ数年、しだいに新仮名遣いでの作歌に違和感を覚えるようになってきた。一年ほど前からはいったん歴史的仮名遣いで思考(?)した作品を筆記するときに新仮名遣いに改める、という状況だったくらいだ。自分の内部でじわじわ育ってきた違和感がある水位に達したように感じ、今年から思い切って歴史的仮名遣いで作歌しはじめた。
 なぜ歴史的仮名遣いでの作歌の方が自然に感じられるようになったのか。多くの短歌を鑑賞するようになって、歴史的仮名遣いに単純に「慣れた」ということもあるだろう。そしてその過程で歴史的仮名遣いの魅力にひたひたと浸されてきたのだろう。
 その魅力とは何か。どうもそれは「時間」に関係があるようだ。新仮名遣いでの教育を受け、生活している私にとって、慣れたとはいえ歴史的仮名遣いの作品を読むのには時間がかかる。新仮名遣いに比べると一・五倍くらいのスピードで読んでいる感じがする。これが作歌するとなるとなおさらだ。間違いのないよう何度も辞書をひきなおしたりする時間も含めて、一首を完成させるのに以前の三倍はかかっていると思う。
 時間が「かかっている」と表現したけれど、それは単なるスピードの緩やかさではなく、時間が「ふくらんでいる」という感じである。間違うかもしれないという緊張感も含めて、それはとても濃密で贅沢な時間だ。「ふっくら」という感覚は読むときにもよく覚える。たとえば〈言ふ〉という表記を目にすると、私は〈IU〉という発音を理解しながらも同時に〈IFU〉という音を意識のどこかで響かせてしまう。時間がかかるだけでなく、言葉にえもいわれぬふくらみを感じて、心地よい。
 「スローライフ」という言葉がある。チェーン店のハンバーガーに代表されるような「ファストフード」に対し、滋養のある食べ物を料理し、時間をかけて食事を楽しもうという「スローフード」運動がイタリアで始まり、そこから生活全般を丁寧に、大切に生きようという「スローライフ」という概念に発展したらしい。「日経WOMAN」2月号が「あなたを幸せにするスローライフ宣言!」という特集を組んでいて、それによればスローライフとは、「自分自身を見つめ直し、自分流のスタイルで生きていくこと」とも言い換えられるそうだ。
 きちんとしたポリシーを持って仮名遣いを選んでいる方からすれば幼稚な考えだろうけれど、歴史的仮名遣いでの作歌は私なりの「スローライフ宣言」といえるかもしれない。
 もちろん、仮名遣いに関係なく、短歌に関わる時間全体が厳しくも豊かで贅沢なものといえる。新仮名遣いによるこれまでの作品も、すべて私が言葉と向き合って過ごした時間の結晶である。また、いま採用している歴史的仮名遣いも場合によっては用いなくなるかもしれない。私自身の表現にとって自然で効果的な方法を探りたいと思っている。いずれにせよ、じっくりと短歌に向き合い、自分に向き合う時間をこれからも大切にしていきたい。

(平成15年「白夜」第49巻第4号)

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