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物語の中を吹く風

   1934年に発表されたイギリスの児童文学「Mary Poppins」。私の手元にあるのは岩波少年文庫の特装版「風にのってきたメアリー・ポピンズ」(P・L・トラヴァース作、林容吉訳)です。子ども時代を過ごした小さな町から秋田市に移り住むことになったとき、通っていた教会の日曜学校の先生がお別れのプレゼントにくださったもので、表紙の裏には聖書の一節と〈神様が由美子さん御一家を平安におまもりくださるようにとおいのりしています〉というメッセージが書き込まれています。
 美しい装丁のその本を、贈られたことの嬉しさとともに幾度も読み返しました。
 東風の吹く寒い日に、こうもり傘につかまって空からやってきたメアリー・ポピンズは、バンクス家の子供たちの世話をすることになります。冷たいようで温かい、そして何より不思議な力を持つ彼女を子どもたちは大好きでしたが、風が変わって西風の吹く春の最初の日、また傘を広げて旅立って行ってしまうのでした。
 風に乗って人がやってくる、また去ってゆく、というイメージは、同じく1934年に発表された宮沢賢治の「風の又三郎」を読んだときにも強く胸に焼き付けられました。谷川の岸にある小さな小学校に、ある風の吹く日に転校してきた赤毛の少年「高田三郎」。小学校の子どもたちは彼を風の精霊のような存在ではないかと思いながらも、さまざまな戸外の遊びを通じて交流を深めます。そしてやはり風の激しい日に、三郎はまた転校をし、子どもたちの前から姿を消すのでした。
 時を経て高校生になり、堀辰雄の小説「風立ちぬ」(1938年)にも夢中になりました。
 高原の夏に始まる若い二人の愛の物語。女性の闘病と死去。それを小説に綴るにあたっての男性の葛藤。これも人生における出会いと別れを「風」に象徴させた作品だと思います。
「「どうと風 素敵にこはい空もやう」花巻からの葉書に記す〉
〈ほら風がハルニレの木を揺らすときサヨナラという粒子がひかる〉

 これらの拙歌の中にも、物語の世界に影響を受けた風が吹いています。

※2019年5月16日、河北新報「微風・旋風」欄掲載

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