「たましひ」は何処へゆくのか~永井陽子の霊的世界
はじめに
永井陽子の作品世界は、異界や遠い過去と交感し、魂や心をみつめる豊かな霊的世界である。本稿では、永井の短歌に表現された霊的なるものの姿と行方を追ってみたい。
過去世への憧れ
遠い過去への憧れは、まず第一作品集『葦牙』の次のような歌に現れる。
続く『なよたけ拾遺』は、「竹取物語」と加藤道夫の戯曲「なよたけ」を下敷きにした歌集タイトルからもわかるように、全体が過去世を志向しているといってもよい。
「をさなきひと」はかぐや姫でもあり、そうでない幼児でもよい。昔の月と眼前の月とが溶け合うような、重層的な一首である。
第三歌集『樟の木のうた』以降、過去の者たちは名指しされ姿をくきやかにすることが多くなる。
馬寮の舎人、定家、信長、そして頼朝の姿態が生き生きと描出されている。
遺歌集には、より己の状況に引き付けた次のような歌が見られる。
おそらく病の中にありながらも、古代へと思いを馳せる姿勢は変わることがなかった。
異類のものー鬼と神
異界ものが現実へ侵出してくるというより現実の世界が異界(過去世を含む)の一部でしかないのだということを表現するかのように、永井の短歌には異類のものが出現する。
遠い過去の人魚の息を聞きとってしまうのが、この歌人の耳だからである。
殊に鬼と神には注目したい。「神」を異類のものと呼ぶのは違和感があるかもしれないが、古代において「鬼」の字が「かみ」とも呼ばれていたこと、何よりも永井の作品世界に於ける扱われ方によって、ここでは神を異類者に分類したい。先ずは鬼である。
『なよたけ拾遺』に収録された短文のうち二つ、一つは妖精に想いをよせる邪鬼を書いた「邪鬼の見たもの」、いま一つは「散佚物語集」の「秋」にも現れているように、永井にとって「鬼」は大きく恐ろしい存在ではなく寧ろ小さい愛すべきものだったようである。むろん鬼である以上禍々しさもあり、それをあえていつくしむのがこの歌人の特異な態度の一つである。
次に神。
の「神」はキリスト教的な唯一神であるという印象がある。ジッドの『狭き門』のような、信仰によって想いを邪魔されることへの批判の思いが込められているようである。
になると、前述の「鬼」へのものと同じような柔らかい眼差しで詠まれている。
などもそうである。しかし『樟の木のうた』を境に鬼や神など言葉は激減する。それに代わって頻出するようになるのが「仏」である。
仏ー懐かしさの源
永井は歌材として仏像や仏のイメージを好んだ。そこにはしみじみと懐かしく心を寄せている様子が表れている。『てまり唄』以降では、より身近で具体的な仏具(木魚や仏壇など)が詠まれ、見送った父母への懐かしさが加わる。
歌では懐かしさを「タンポポの原」が象徴しているが、タンポポはまた魂に関わる花でもある。
この他にもタンポポと「たましひ」をとも
に詠んだ歌が何首もみられる。では、永井にとって「魂(たましい・たましひ)」とはいかなる存在だったのか、次項でみてゆきたい。
たましひーそして死へと至るあそび
ここでもまた、「切る十字すりぬけながら」にキリスト教的なものへの批評的思いが表れている。
父への思いと自然界のものへの心よせが調和した一首である。
遺歌集にはこのような歌もある。次項では「死」にまつわる歌についてみてゆく。
死ー父母、そして自己のものへ
初期からこのように死のイメージを描いていた永井の短歌作品。
上のように、他者や父母の死を詠みながら次第に自分自身の死について言及する歌が増えてゆく。
その理由は、「心(こころ)」という語が詠まれた歌を追うとみえてくるかもしれない。
抽象的な「心」から手ざわりのある「こころ」へ
第一作品集にはこうした歌があり、やや生硬で抽象的ではあるが瑞々しい若き永井の「心」がうかがえる。「青き地図」の「青」は青春の「青」でもあろう。その後、
など「こころ」を伸びやかに遊ばせるような歌が『なよたけ拾遺』『樟のうた』にみられるが、『ふしぎな楽器』『モーツァルトの電話帳』にはほとんど「心(こころ)」の語がみられない。そして、
という歌を生前出版された最後の歌集に収録したのを前兆のようにして、遺歌集にはおびただしい「こころ」の語が現れる。
寒さに閉ざされた心身。その「こころ」を小豆色としてみつめ煮詰める。このような、自己の「こころ」を掌においてみつめ、ときに追い詰めてゆくような歌がたいへん多い。
このような「こころ」の状況が、前項で述べたように「死」を己のものとして近しく詠むようになっていったこととリンクしているとはいえまいか。
おわりに
『永井陽子全歌集』(2005年、青幻舎)を霊的世界という視点から読むとき、そこには歌集によって表現法を変えながらも、遥かなものに憧れ、己のこころを清くするどく澄ましつづけながら作歌に向き合った歌人の魂の在りようが浮かびあがってくる。永井の「たんぽぽいろのたましひ」は彼女の歌を読む者の内に灯り続ける。
(2019年度短歌人評論・エッセイ賞応募作)
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